<今月の禅語>
~朝日カルチャー「禅語教室」より~ |
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西湖は中国十大風景名勝の一つで杭州の第一の名所である。その美しさはいつ、 どこの景観をとっても、みごとな一枚の絵になるといわれ、北宋の詩人蘇東波は この湖をこよなく愛し、その詩の中で中国古代の美女西施にたとえて「西子湖」 と詠んだことから、西湖と呼ばれるようになったという。 |
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また杭州は秦の時代に、始皇帝が銭塘県を設置してから はじまり、隋の時代から杭州と呼ばれようになった。 隋煬帝が杭州と北京を結ぶ京杭運河を開通させてから、 中国の南北をつなぐ重要な交通と貿易の中心地となり、以来 9世紀から14人もの皇帝がここに都をおいたという。 13世紀末、この町を訪れたマルコ・ポーロは「世界で もっとも美しくて華やかな都市」とほめ称えたというほどに、 西湖は水上輸送での重要な役割を持っていたことだろう。 このような背景を思いながらこの語を見れば理解はし易い。 |
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さて禅語の如今放擲す西湖の裏とは、たくさんの荷を積んだ船の船足は重く、 ようやく船着き場にたどり着き、せかされるように休む間もなく荷をおろしに かかり、今やっと陸揚げを終えてた。一切の厄介なものを放擲してしまった ようにすっきりした気分である。気がつくと西湖の船着き場には川風が吹き 抜けてすがすがしい。任務は終わって、さぁあとは川の流れに任せ、帆を いっぱいに広げて下載(あさい)の清風にまかせて銭塘江を快適に下るだけだ。 |
このすがすがしい解放感は何とも言いよう がない。何の束縛もないこの爽快さ、湧き 上がる喜びを誰に伝え、誰と分かち合おうか。 だが、これだけは誰にも分け与えられる ものではない。苦しみ喘ぎ、汗を流してきた ものだけが味わうことができる喜びなのだ。 |
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因みに昔、中国では東南の風を上載といい、西北の風を下載といわれたと 聞くが、また、荷物を積んで銭塘江を上がるを上載といい、荷物を下して江を 下るを下載ともいわれるのだともいう。いづれにせよ荷を積み流れに逆らって 船を走らせる苦労があればこそ、清風を受けて快適に下る心地よさがあるのだ。 徳川家康の格言として知られる「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが ごとし」のように人は皆いろいろなことを背負って生きていることである。 しかし、そんな俗界のしがらみも、迷いも囚われもすべて放擲してしまった ときにこそ新しい人生、別天地が開けてくるらしいのだというのが、「下載の 清風」の語の意図である。ところが、自らもそうだが、人様には無駄なもの 余計なものは捨てなさいと言いながら、また拾って歩く自らがある。 修行して悟りを得れば悟りにとらわれて、後生大事に持ち歩く御仁もおら れる。下載の清風を感じられる人生でありたいものである。 |
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