<今月の禅語>     〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜


  水自竹辺流出冷 風従花裏過来香(禅林類聚)

    水は竹辺より流れ出でて冷ややかに、
           風は花裏
(かり)より過ぎきたって香し



 夏の暑さのさ中特に竹林を渡る風は涼しくすがすがしさを感じさせられる。

さらにその竹林より流れ出る水もまた冷ややかなものである。また花咲く野山

から流れ来る風にもやわらかな芳香がして心が癒される。春に顔出しした竹の子

はすっかり伸びきり若竹となって翠々として勢いがあり気分もしゃきっとさせら

れる。花は春ばかりではない。春夏秋冬いつの季節もそれぞれの花がある。

 人目には気づかれないが楠、樫、栗、椎、銀杏、柿などなど木という木には

皆それぞれの花を咲かせて香りを放ち鳥や蜜蜂、蝶たちを喜ばせている。

自然のおりなす妙味の中に私も生かされているのだと実感するときである。


 先日、梅雨の晴れ間、竹山へ分け入って真竹の竹の子を

採りにでかけた。今年は春過ぎからの雨が少ないせいなのか

竹の子の芽立ちも少なかったが、竹林の直ぐ下の谷のせせ

らぎで汗まみれの顔を洗い、口を漱いでしばしその流れの

音を聞きながら心が和ませた。やぶ蚊の猛攻撃にあったが、

その吸血鬼にもおおように血液の施せるだけの寛大さを

もてるのもそれ以上の自然の元気を頂いているからなのだ。


 やはり竹林から出てきた水だからこそ冷たくうまい、

花咲く木々の中をくぐって吹いてくる風だからこそ穏やかな

気持ちに包まれるのだと言う、この語は自然妙景をうたもの

であるが禅語としての解釈としては物事はすべて流れ出てくる元が大事なのだと

いうところにこそ禅意をおかねばならない。
朱に交われば赤くなるともいうが、

人は育つ環境に左右されていくものである。家柄、家系などというのは差別的

意味合いを含み、現代ではあまり尊重されないが、やはり育ちのよさは人格、

気品を自ずとつくるものである。その育ちの善し悪しで学ぶ環境も交わる友も

自ずとできていくものである。知らず知らずのうちに育ちの環境、学習環境

社会環境に影響され、人間形成は大きく左右される。

 あの親にしてこの子ありとか、子をみりゃ親の人

なりの想像ができ、家庭環境はすぐにみてとれる。

築かれた伝統、家風、校風、社風などから出身の

所をみれば、その人のおよその人柄も信用も推測

されることだってすくなくない。

 人の心もまたしかりである。美しい心優しい心良い心から発せられて言葉は

優しく心に響き喜びとして受け取れる。だが、悪心より発せられた言葉は、たとえ

ほめ言葉や美辞麗句をならべられても聞かされるものにとっては真からの清々しさ

はなく、親切ごかしの言葉は要注意である。政治化の選挙公約また然りだ。



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