<今月の禅語>
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飲酒二十首の中の一句 盧を結びて人境にあり 而も車馬の喧(かまびす)しきなし 君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり 菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る 山気に日夕(にっせき)に佳く 飛鳥相い与(とも)に還る 此の中に真意あり 辨全と欲して已に言を忘る |
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陶淵明は田園詩人とか隠逸詩人といわれたように、自然の 風光を好み地位名誉からも離れて酒と菊花を愛したという。 彼ははじめは幾たびか高級仕官を志すが、門閥の低さが あって将来性がないことを知り、また郡の監督官に反発し、 「吾れなんぞ五斗米のためにぺこぺこと腰を折り、自分の 主張を曲げて意に反して、小役人どもにおべんちゃらを いわんならんのや」というて職を辞し、故郷の田舎の村に 帰り、隠棲し晴耕雨読、悠々自適の生活を始めたという。 その生活での詩作の中の「飲酒二十首」のひとつがこれである。 |
田舎に草庵を結び今はもう自然の中に溶け込んでしまったよ 訪ねてくる人もなく、実に寂かな心境でおれるんだ。 どうですか。みなさんもいかがですか。 世俗のことなどはもうすでに昔のことになってます。 庵の東の柴垣の傍から菊の匂いがしてきたよ。 しゃがんでその菊の一枝を採ろうとすると眼前に名峰の終南山が聳えてます。 とってもいいアングルだから、デジカメで撮っておこうかね。 |
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この庵のある山合い風光はなんともいえず心を休ませて くれる。鳥も空に浮かんで自然に溶け込み、その中に 私も同化してしまったよ。もう煩悩だ妄想だということ さえなく、悟りという臭みさえ忘れ果てたし、執着だ、 無執着だということさえない。そんな心境だ。 |
ただ、これを、深山幽谷、静寂の地に求めることでなく、現実に住まう都会の 日常の喧騒の中にこの心境を持ってこそ、この禅語の意義がある。 お茶席に掛けて、四畳半のなかにこの風光を描き味わえるといい。 |