<今月の禅語>

  萬里無片雲(禅林句集) 萬里片雲無し



澄み渡る秋の空、雲ひとつない青空を眺めているとわが心まで広くなる気がする

ものである。そういうすがすがしい秋空の日が少なくなったようにも思えるのは、

わが心の曇りがちなせいなのかもしれない。

萬里とは萬里の空、萬里の天にたとえるわが心のこと。片雲とは、一片の浮き雲の

ことでわが雑念妄想のたとえに他ならない。


残暑もようやく終わり秋風が涼しさを運びきて、雲をはらう

ように雑念、煩悩で覆われていた心も、苦悩のときを乗り

越えて修行の成果を見るにいたった。もはや煩悩の影も消え

うせて心は澄み、この秋の空のごとく、萬里の天に一片の

雲も無きような、そんな心境を表す語である。

禅宗の祖師は「衆生本来仏なり」といい、人間の心という

ものは本来清浄なる仏性が備わっているとする。

ところが、その真理に疎く無明煩悩に惑わされて取捨分別の

心を起こして迷いの雲をつくり、陽や月の光を覆うように

清浄なる仏性までを覆い曇らせてしまっているのが、私たちなのである。

しかし、その煩悩の雲を吹き払い、無明の闇を破るとき、そこには本来の仏性が、

太陽が現れるごとく燦然と輝き出るのである。

その修行の道が仏道であり、禅の道である。その方法のひとつとして座禅があるだ。



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