<今月の禅語>


   烟霞不遮梅香    烟霞 (えんか) 梅香を遮 (さえぎ) らず


梅花は既に散り終わりこれからは桃の花さかりであるが、霞たなびく季節は今。

花粉、黄砂襲来に起因する霞みは願い下げ願いたいが、今からがその現象を

あらわにする季節でもある。烟霞とは煙やもやのことで、ぼんやりと霞んでしまう

この季節、野道を歩くと何処からともなく梅の香りがとどく。よく見ると小川の

向こうの梅林の花が遅れながら開き、そよ風に乗せられて匂いを運んできたようだ。

梅の花は霞もやに遮られてよくは見えないが、ほのかな甘い

匂いはその霞にも遮られることなく香ってくる。

「烟霞梅香を遮らず」の語意は以上の情景を表わしたもので

あるが、禅語としてこれを解釈すれば、烟霞は様々な障害、

妨げであったり、煩悩妄想にたとえれば、真に悟れば仏性

輝き、煩悩妄想の霧は払われるとも解されるし、また、

人徳は何ものにも妨げられることなく顕われ出るものである。

先般当寺の伝道掲示板に「花の香は風に逆らって流れず、人の

徳香は風に逆らって流れる」と書いて張り出していたが、

仏法を修するもの、禅の道を行くもの自ずから人徳輝きだし、遮る煩悩妄想もなく、

邪欲妬みの障害も逆に護法のかてに変えていくことだろう。

承福寺和尚は大変な不精者でめったに作務をしないから、境内はもちろん門前も

雑草が茂りだす。見かねた近所の年配過ぎたご婦人が時々、手クワを持ってきて

黙って草取りをしてまた、そっと帰られる。私はお礼を言ったたこともなければ、

その方もお礼やねぎらいの言葉を求めようともされない。

ここに「隠徳の行」があり、既に曲がりかけた

背中の後ろに後光が指すように思えて、そっと

手を合わせて拝みたくなったは、私の欲めく目

なのだろうか。彼女は既にお受戒を受けた信心

家である。そのときの戒名を寺でも控えている

が、その上に「梅香院」の院号でもつけてやろ

うなどと勝手な妄想をかいている。




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