<今月の禅語> |
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「足るを知る」と言えば、石庭で知られる竜安寺に有る「吾唯足知」の つくばいを思い出すが、これは竜安寺が専売特許ではない。遺教経に 「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち 富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、安楽なりとなす。 不知足の者は富むといえども、しかも貧し。不知足の者は常に五欲のために 牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。是を知足と名づく」とある。 |
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当寺の伝道掲示板に私が好んで掲げる言葉に『貧乏 とは何も持っていない人のことでなく、多くを持ち ながらまだまだ欲しい欲しいと満足できない人のこと である』と言う文句がある。足る事を知る人は不平 不満が無く、心豊かであることが出来る。ひところ、 清貧のと言う言葉が流行ったが、足るを知ることは、 欲望が制御され、煩悩妄想による迷いもおのずと消え、 心清き状態でおれると言うことである。 |
現代は「物で栄えて心で滅ぶ」と言われるように、私たち生活の中では物質的 にはもう十分なくらいに潤ってきた。更にブランド志向でより高価なもの、 より味のいいものが求められてきた反面、使い捨て、食べ残しが常態化して 勿体無いと言う言葉が死語となりつつある。 |
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こんな時代背景に偽松坂牛肉が出、偽装事件が 次々に発覚し、その事件を知りながら、その 同じ手口でまた騙し行為が続くと言う、なん とも心貧しい話を聞かされる。まさに「不知 足の者富むといえども、しかも貧し」である。 |
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今の物質社会に「足るを知ってむさぼるな」というほうが時代遅れに思われ そうだが、今の時代だからこそ「足るを知る」こと、また茶人利休の茶道理念 とする足ることを知って分に安ずるという「知足安分」の精神が生かされなけ ればならないのではなかろうか。 |
「南方録」巻頭覚書に「家は漏らぬほど、食事は飢えぬ ほどにて足る事也。是仏の教え、茶の湯の本意也。 水を運び、薪をとり、湯を沸かし、茶をたてて、仏に 供へ、人に施し、我ものむ。花をたて香をたく。 みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也。」と述べられ ている。 |
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必要な分を必要なだけ用意して茶をたてまず仏に供え、人に差し上げ施しして、 最後に自分も頂くと言う、謙虚で思いやる、自利利他の精神が生きている。 これは古くて、また新しい思想なのである |
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