<今月の禅語>

 坐久成労 〈ざきゅうじょうろう) (碧巌録)  坐久しうして労をなす

   挙す。僧、香林に問う、「如何なるか是れ祖師西来意」。云く、「坐久成労」。





香林澄遠禅師(908〜987)は雲門文偃禅師の法嗣。達磨大師がわざわざ

インドより中国へ渡ってきたその真意とは何か?つまり「悟り」とは何かという

僧の問いかけに「長い間座っていて(修行してきて)、やれやれくたびれたわい」

と香林は答えた。

「祖師西来の意」は「仏法的々の大意」と同様に禅問答の定番の切り口。

突っ込みである。ここで言う祖師とは禅宗の開祖の達磨大師のことで、達磨は

釈尊以来の連綿と相承されてきた禅仏法をインドより中国へ伝えた祖師である。

「坐久成労」は、やれやれと言う開放感、心地よい充実感。

もうこれ以上何も求めるものがないと言う悟りの消息を

表した言葉である。辛苦、辛酸の修行を重ねて豁然と

開いた悟り、血の涙、玉の汗、まさに刻苦光明。

湧き上がる喜びの味わいのひと時から、冷静に振り返るとき、

「やれやれ、ようやく求めていたものがつかめたわい」と言う

安らぎの、えもいわれぬ心地よい疲れと、充足の心境という

ところだろうか。

私はトライアスロンと言うスポーツを始めて十数年になるが、還暦の今年も一つの

大会を目指そうとしている。それと言うのも真夏の過酷な中で始めて参加したとき、

水泳2キロ、自転車60キロ、ラン16キロを走り終えたとき、やれやれと言う

疲労以上に、やった、と言う完走し終えた満足感、充実感がいまだに忘れられないで

いるからである。それ以来ロングタイプの大会にも参加し、宮古島や佐渡の国際大会

に出て、情けないことに、常に制限タイムとの戦いの中にも「やれやれ」と言う心地

よさを感じてきている。

今はもうロングの大会には体力的に無理だと自重して

いるが、初めての、自転車180キロを走り終える

ゴール寸前で、なぜか涙があふれ出して仕方がないと

言う状態を経験したことがある。佐渡のコースは急坂が

多くてひ弱の私にはあまりにも過酷過ぎてふらふら状態

ながらも時間内にたどり着けたという喜びが、理屈を

超えて体が自然に反応して涙を催したのだと思った。


白隠の達磨図
もちろん、まだそれから42.195キロのフルマラソンが残っているときでも

あったが、「やれやれ、やっとたどり着いた」というあのえもいわれぬ喜びは

何にも譬えようのない充足感に満たされのである。これを、香林禅師の「坐久成労」

の言葉に譬えるのは、安易過ぎるだろうか。


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