<今月の禅語>

                  

鏡清道?禅師は「碎啄の機」と言う事を大事にした。

「凡そ行脚の人は須らく碎啄同時の眼を具し、碎啄同時の用(はたらき)有っ

て方(まさ)に禅者と称すべし、母啄せんとして、子碎せざることを得ざれ。

子碎せんとして、母啄せざることをえざれ」と説かれている。

碎啄同時という言葉はもともと中国の古い俗諺である。碎啄というのは鳥のヒ

ナの孵化する様子から出たことばである。親鳥が卵を抱いて二十一日間、い

よいよ卵がかえる時になると、ヒナが中から卵の殻をコツコツとつつく。これが

碎するである。

この夏、中国から贈られた朱鷺(トキ)の孵化に成功し、日本中が《TVの中だ

けかもしれない》大騒ぎし、喜んだ。そのときの様子をTV画像は詳しくつたえ

てくれたが、そのとき、産まれる直前、卵の中のヒナが殻をコツコツとつつく

(嘴はし打ちという)音まで伝えてくれた。ああ、これが、あの碎啄の碎なのだ

と、いたく感激して聴いたものである。

このヒナのコツコツの音を聴きおや鳥は外から殻をコツコツとつついてやる。これが啄するである。

ヒナの碎と親鳥のとの絶妙に呼吸が合ってうまく殻が破れヒナが誕生する。どちらかが早すぎても遅すぎても、

強すぎても弱すぎてもいけない.阿吽の呼吸が大事である。この俗諺を禅の修行の上で、師と弟子の関係に

あてはめて、師の僧は弟子の修行の習熟してくる状態や心境の充実度をみまもり、機縁の熟する時を見て、

啄す師の眼力、力量が問われる。師がいくら機縁を与えようとしても、弟子のほうが未熟あれば、悟りの

機縁は出来ない。この碎啄の機は日常の親子の関係、夫婦、恋人同士、商売上の売り手と買い手など

さまざまな関係にも及ぶ。また茶席の主と客の意気投合、呼吸の合ったこころの通いあいにも及ぶ。

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