こころの紋様 -ミニ説教-

~欲が働く形見分け~

- 遺言書のすすめ -



 「泣きながらいい方をとる形見分け」の古川柳の時代は、まだいささかの恥じらいと慎みも感じられ

ますが、最近は「恥も外聞もなく遺産相続をめぐっての骨肉の争いを目にすることもあります。

 葬儀から一連の法要としての満中陰忌に伺うと、どうも変な雰囲気があり、当然参列すべき親族の

何人かの顔ぶれがありません。どうやら親の遺産の相続争いの渦中のだと察せられることもありました。

 こんな時、遺言書があればよかっただろうにという思いにもなりましたが、その遺言書だって法的

効力はあっても人の欲と感情がからんだら絶対に争いが起きないとも限りません。

 以前、知人から遺言書の証人の依頼を受けて公証人

役場へ足を運んだことがありましたが、そこで「遺言書の

すすめ」という小冊子もらい遺言について考えさせられ

ました。昔は長男が全財産を相続することが常識だった

ようで、戦前では少なかった相続争いが新憲法のもと

では遺族親族の共同相続となり、遺産分割協議方式

になっているため相続人相互の利権が折り合わず、

相続争いとなって表面化し裁判沙汰も珍しくなくなりました。

 我が息子や娘は仲が良いから、よもや財産分割で争うことはないという安易な期待と願望は、相続権

を持つ子供たちのそれぞれの伴侶の意見や入れ智慧が働けばいとも簡単に裏切られ円満協議には

ならなくなって、遺族間の争いへとなりかねません。

 遺言として口頭で言い残したことは死人に口なしで、書面の法的手続きが取られていなければ何の

効力もありません。相続権を持つ者にとっては当然の権利としてなにがしかのまとまった財産が無償で

手に入れる、またとない機会かもしれません。どうせもらえるものなら少しでも多く得たいという気持ちが

働くこともあり、またその伴侶の陰の働き掛けもあったりすれば、つい恥も外聞もなく相続権放棄には

承諾できないという事にもなってしまうことでしょう。

  こんな時、私どもがいくら仏教的無欲や布施や献身

犠牲の精神を説いたとしても、現実の欲望の炎は消せ

ません。とはいえまだまだ先祖代々の家を守り、

先祖を守るという意識は日本人の中に強く残って

いますので、こういう遺産相続争いは少数派に

過ぎないことでしょう。だが、このような遺産相続を

めぐる兄弟、遺族間の醜い争いや悲劇を未然に防ぐ

ためにも公正な遺言書をつくり、あらかじめ配分の

方法などを明確にしておくことも考えておくべきでしょう。しかし、遺言書が最も尊重されるとはいえ、

常識を大きく逸脱して公平さを欠けば、かえって争いの種となりましょう。あくまでも皆が納得できる

ものにしておきたいものです。

 子孫のためにと思って残した財産が、遺言書無きが故に醜い骨肉の争いの種となっては却って

罪づくりとなり、死ぬにも死にきれない話でもあり、あの世とやらに居て迷い、往くべき彼の往生の

地に行けず浮かばれない存在というもいう事になりかねません。




最後までお読み頂いてありがとう御座います。

 ぜひご感想をお寄せ下さい。

E-mail ns@jyofukuji.com

 戻り