こころの紋様 -ミニ説教-

~千年の憂いより今の心得~

- 災難来れば災難に遭うがよし -



 ある日の檀家さんとの雑談の中でのことですが、それは本気だったのかもしれませんが、和尚さん

「もし津波が来たら承福寺に逃げて来てもいいですか?」という人が何人かおられました。

 「どうぞ、どうぞ大歓迎しますよ」と他愛なく返事をしましたが、昨年の東日本大震災の折のあのすさま

しいまでの津波の映像を目の当たりにして以来、日本中が防災意識が高まってきた中での話です。

 多くの人たちが自らの避難場所を考えたり、防災グッツを用意しての危機に対する備えは喜ばしい

ことに違いありません。その後、各地で津波を想定した避難訓練が行われ、その様子を伝える報道も

ありました。「備えあれば憂いなし」ということですから、確かに結構なことだと思います。

 しかし、極楽とんぼで能天気な私は、それはまたあまり

にも過剰反応に過ぎるのではないかと云う気もします。

 この冬の北日本の豪雪は雪崩や落雪の事故が多く

発生し、甚大な被害と幾人もの犠牲者を出しました。

 だが、あの雪崩を見ても九州のこの地で雪崩避難

訓練や対策を考える人はいないはずです。

 それは、この地にはあのような豪雪はまずは無いことを知っているからです。このように確かな情報と

知識があれば地震や津波に対する対策の考えもおのずと変わってくるのではないかとおもいます。

 確かに先年のあの映像で見る津波破壊力は恐怖そのものであったし、また、繰り返し起きうるとも

言われていることであり、対象地域においてはその対策や備えは十分に考えておかねばならないこと

でしょう。だが、あのような東日本での大津波が日本中のどこでも起きるものと思い込み、怖がる

ものは如何のものだろうか。 海岸に近い玄海地区の檀徒方々の中にも大津波の心配をされる

人たちも大勢おられたようであり、地区集落では実際にサイレンを鳴らし避難訓練が実施されたことも

ありました。だから高台のお寺を避難場所にと思われることでもわかります。 

 だが、私はお寺でのお説教の中で「ここ玄海・福岡近辺では地震はあってもあのような大津波は

ありませんから心配することはないですよ」と言ってきています。

 私は決して気休めやデタラメを言ったわけでなく、玄界灘一帯には太平洋側にあるような地殻変動を

危惧する巨大岩盤であるプレートが見られないということです。承福寺より望む玄界灘はしばしば海難

事故はありましたが、津波の発生は未だかって千年の歴史のなかにも記録はないことからでもいえる

ことです。さらに、地震学会等での小規模の活断層の存在は指摘されていますがこの地への津波の

予知も警告などは一切なされてはいないことからも津波の心配は不要だといえることです。

 福岡で雪崩対策は必要ないように津波対策も危機に

対する心の準備程度でいいのではないか考えています。

東日本であったから福岡であるとは限りません。

 昨年のあの東日本の震災はかねてより頻発に繰り

返されていましたし、巨大津波の記録は歴史の中にも

何度も記されていたし、近年の地震科学者たちからも

予知され警告もされていた中での大震災と津波の

発生であったのです。

 危機に対する用心はし過ぎるということはありませんが、心配もいらぬ心配、無駄な心配はふような

ことでしょう。ここで津波の心配する以上に今なすべきことは身近には火災の予防であり、漏電の点検、

ガス石油の火気注意などまずは身近な危機管理を忘れずしっかり準備をしておきたいものです。

 また、日頃の火事への備え、自らの健康管理と不意の急病などに対する対応の必要性こそ忘れては

ならないことです。その日頃の火の用心等、危機管理あっての上でのことでしょうが、かの良寛和尚を

はじめ、先徳方は「災難が来れば、災難に遭うがよろし」といわれているように、不慮の災難にあわて

かえり、とりみだし、われ先に助かろうとか自分勝手な行動を戒めています。いかなる天変地異が

あろうとも神仏と共にある安心の心境を築いておきたいものです。



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