こころの紋様 -ミニ説教-

~檀徒の誇りは愚かなうぬぼれ~

- 悲しい仏教国の差別 -



 古くからおこなわれていたのかもしれませんが、結婚相手の身元調査が今も行われているのは

悲しい事実です。以前のことではありますが、大阪からと名乗る知らないご婦人から我が地元の歴史や

特定地区の家の職業などを訊ねる電話が入りました。自分の名も告げず隣地区のことを聞こうとする

のは失礼な人だと思いましたが、せっかくの遠方からの問い合わせなので、知る範囲のことを応えて

いくうちに、「変なところではないのですね」という問いに結婚の身元調査なのだと分かりました。

 私は腹を据えかねて「変なところとはどういうことだ」と詰問

したところで電話はきられました。そのご夫人は何にをもって

変だとか変でないとか言われるのでしょうか。そういう変な

差別意識を持つ考えこそよほど変じゃないかと思いました。

 社会には様々な職業の方がいて成り立ちます。

職業に貴賤なしで「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまたワラジを

つくる人」と、どの役割の人が欠けても困るものです。

 どこに差別する要素があるでしょうか。ましてや、昔、特殊視されたい地域を今日なお部落として蔑視し

続けるなど万人平等を説く同じ仏の教えを頂く仏教徒として少なからず情けなくもあります。

 インドでは古くからカーストという厳しい身分制度があり、今もなおそれは生きています。しかしお釈迦

さまはこの制度を否定し人間平等を唱え、出家者に限らず、すべての人にも同等の扱いをもって接せら

れました。お釈迦さまこそ人間平等をお説きになられた最初のお方です。このお釈迦さまの教えを頂く

仏教国日本において差別問題があっていいはずがありません。 しかし現実には根深く部落差別は

残存し、就職や結婚に対しても問題視される面もあります。 差別否定の立場の一部仏教宗派寺院が

過去において葬祭の差別を行い、その地の住人に対しては差別的特殊な戒名をつけて卑しめていた

という事実が明らかにされ、糾弾されたことがありました。承福寺にはそのような直接差別にかかわる

ような事柄は有りませんが、しかし差別がなかったとは言えません。

 それはこの地を支配していた戦国武将の宗像氏

貞公の菩提寺ということから黒田藩主より地領を

受け代々藩主の庇護下にあったためにいわゆる

当時の被差別の人たちとの直接かかわりが

なかったというだけのことであり、差別意識が

なかったというわけではありません。

 なるほど地域が家族のように仲良く互いに支えあったならば、日本のような孤独死や自殺など起き

ようがないことでしょう。ブータンの95%の人が幸福感を抱き人間として生まれたことに感謝している

ということで、さらに残る5%の不満足についての対策もなされて100%を目指していることでした。

 同じ仏教国でありながら自殺者3万人の日本とは大違いです。経済至上主義を第一に掲げる日本が

幸福なのか、貧しくとも仏教の教えを第一とするブータンが幸福なのか、歴然としています。

 人の心に触れる政策がなされなければ、いくら金持ちになっても国民の心は安まるものではない

ことです。不況になれば企業はすぐに派遣切りをしたり、弱者斬り捨てが行われる政策の国に幸福や

安心が得られるでしょうか。



最後までお読み頂いてありがとう御座います。

 ぜひご感想をお寄せ下さい。

E-mail ns@jyofukuji.com

 戻り