こころの紋様 -ミニ説教-


~天変地異は他人事ならず~

- 諸行無常は法の中 -


 先般の東日本大震災は、日本のみならず世界中を震撼させました。被災者にはお気の毒であり

承福寺からも些少ながら檀信徒一同のまこころを集め、被災地へお見舞金をお送りさせて頂きました。

 さらに我が寺のみならず、どちらのお寺でも震災津波による物故者への供養や鎮魂の祈りがささげ

られました。それでもなお仏教者として何をなすべきか、どう行動すべきかという思いの若手の仏教者の

多くが震災地へ馳せ出かけ、泥にまみれての支援活動や避難所での精神的ケアや子供たちへの学習

補助などに当たってくれていました。老僧の私とて仏教者の一人として、思いは同じであり、なにか

自分にできることはないかという思いの焦りがどこかにありました。ただ、いまさら老僧が被災地に

出かけても何の役にも立たないどころか、邪魔になり、かえって大迷惑にしかならいことなので、

後方支援者としてのささやかな義援金と被災地の復興への祈りしかありませんでした。

 それでもひと月が過ぎ、さらに旬日が過ぎると、草木も

芽生えだし季節も春に変わると被災地の様子も変わり、復興

への意欲が強くなってきたような感じが伝わってきました。

 これにこたえるように五月連休には大勢のボランティアが

震災地へ出かけかけていきました。そんな空気つたわり、

私も連休の最後の日に、なぜなのか引かれるように震災の

地へでかけました。

 仏教者として他人事として済ませられない妙な感じがしたのです。ボランティアのつもりもないし、被災地

へ出かけるのに何の理屈もないのです。強いて言えば、震災犠牲者の慰霊というのか、追悼というのか

頼まれもしない慰霊供養の名目をつけてのあてのない旅なのです。実はもう一つ被災地・石巻の友人が

住する禅昌寺への陣中見舞いという名目もつけました。彼の寺は津波の被害からは免れましたが周辺

一帯、石巻の広範囲が津波の被害に遭い、禅昌寺は臨時の避難所になって疲弊状態との電話の声を

聞いていたこともあったからです。

 今は震災発生から3ヶ月にもなるが、なお鉄道は寸断され、

列車は横転のまま、さらに田んぼの中に放置されたままです。

 なお手づかずの瓦礫の山があり、廃墟と化した無人の街が

あって胸が詰まるものがありました。十七年前の阪神大震災

の時に自転車を持ち込んで西宮、神戸の瓦礫の街を走り

回ったあの時の様子とは全く違った感慨でした。

 禅昌寺和尚は被害の大きな石巻漁港近辺を一望する日和山へ連れ出し、またその瓦礫の生々しく

残る被災現場へ案内してくれたので、小衲も力及ばぬとは言え、心において万霊への祈りを捧げた。

 平日だったが、大勢のボランティアの人たちは泥にまみれ鼻もよがむようなヘドロ独特の臭いの中

での活動には頭が下がる思いでした。報道では連休にはボランティアが大勢押し掛けて混雑し有難

迷惑だとか、邪魔になって困るという言い方もあったが、とんでもない濡れ衣であり、現地の人たちは

「こんな所まで来てくれてありがたいことです」と感謝されていました。まだまだ全然人手が足りないし、

重機ではできない、人の手によらなければできない作業はいっぱいあります。被害現場の人達はもう、

被災直後とは思いは違っています。いっぱい詰まった思いを伝えたいという思いでいます。

 観光ボランティアでも何でもいい、被災の人々と悲しみや心の痛みを共有し、いつまでもその人々と

寄り添うことを忘れないために瓦礫の現場に佇んで見るのもいいかもしれません。



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