こころの紋様 -ミニ説教-
~身を謹み仏恩を思う~
- 「頂きます」のこころ -
経済的不況風が吹く現在、経済成長は伸び悩んでいますが、そんな不況といわれる中にも相変わらず 大量生産、大量消費の構造は変わらず物や金は激しく動き無駄な生産無駄な消費、浪費の図式は何ら 変わっているようには思えません。ひと頃見たいに「浪費は美徳」という人はさすがにいませんが世の中 には何と無駄な消費が多いことでしょう。経済本位からすれば生産に見あう消費の拡大は歓迎されること でしょうが、しかしそれは人間の思い上がりというものであり、限りある資源の浪費は資源枯渇にも影響し、 地球環境の悪化にも通じて人間以外の他の動植物の生命さえ犯しかねない事になります。 それは人間の勝手な思い上がりです。 |
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地球は人間のみのためにあるわけではないからです。 「身に謹みなくして、世の施し物をくらうことなからん」とか 「われ唯足るを知る」とか「少欲知足」とかいう言葉が示す 仏教的教訓を今こそ見直す時かも知れません。 あらゆる地球資源にしてもでも、毎日頂く食糧にしても 全ては神仏の恵みとして受け止め、身を養い、活動する 十分な最低限のものを使わせていただくのだという、 |
謹みがなければならないのだというのが仏教的考え教えなのです。禅門の修行道場の修行道場においては 五観(ごかん)の偈(げ)という食前のことばを唱えています。今はその言葉はかまけて普段は唱えてはいま せんが、本山に上がって頂く朝の食事の粥座(しゅくざ)の折に皆さんと般若心経などと共に五観の偈のなどを 唱えて頂いているぐらいですが、やはり、今改めてこの食事の偈を我が寺でも復活させ唱え始めました。 <五観の偈> 一つには、功の多少を計り、彼の来処を図る。(この食膳に運ばれるまでには、 幾多の人々の労苦と神仏の加護と恵みによってある事を思っていただきます) 二つには、己が徳行の全缼(ぜんけつ)を忖(はか)って供に応ず。 (自分自身の徳行の如何を顧みてこの食事を頂きます) 三つには、心(しん)を防ぎ過(とが)、貪(とん)等(とう)を離るるを宗(しゅう)とす。 (この食に対して貪る心、厭う心を起しません) 四つには、正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり。 (この食はまさに我が生命を宿す身体をやしなう良薬と心得ていただきます) 五つには、道業を成ぜんが為に正にこの食を受くべし。 (この食は仏道修行、あるいは正しく生きるために有難くいただきます) |
こんな尊い教えを頂きながら、私自身がそれを修行中の ことだけにしてしまっていたことを、今仏教者として恥じて います。現在、肥満高血圧あるいは糖尿病等栄養過多に よる現代病の増加に見るように一般家庭の毎日の食事が 随分贅沢になっているともいえます。何より自分自身が 糖尿病を疑われてしまう始末ですから何をかいわんやです。 幸い今のところは事なきを得ていますが、少なくとも身に 謹みを持って、大自然からの恵みであり神仏からの お授けものとして、有難く頂き仏恩を思う精進は忘れたく ないものです。 |