こころの紋様 -ミニ説教-
〜気づかぬ心身障害者〜
- 便利社会の不便 -
隣の集落のある老婦人が息子さんに送られて寺参りにこられました。「おや、久しぶりですね」と何気 なく交わす挨拶。「ええ、なかなか足がありませんでしたので、ついご無沙汰ばかりで・・・」と言う返事。 一昔前はよく新聞の見出しに「列車事故、3万人の足を奪う!」という記事がありましたが、このご婦人の 言う「足がない」とはまさにそれ。自分を運んでくれる車である。つまり自家用車はご主人や息子が仕事や 通勤で使い、自分は運転出来ないので、ご主人や息子の休日で、都合よく自分の頼みを聞いてくれる時 でないと「足」がないという意味です。 |
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「そうでしたか、遠いところをようこそ!」と言ったものの、 ついこの前までは皆歩いて通った距離なのです。車に乗り なれ、車に頼る本人はもう20分の歩行距離が遠いものに なってしまったのです。車社会は遠く感じた距離が近く感じ られるようになった反面、近くを遠くしてしまったのかも 知れません。 |
寺参りは坂道でもあるためか、すぐしたの門前の人でさえ車=軽トラックで気軽にやってまいります。 すぐ前の田んぼに行くにも車、ちょっとの買い物でも車、部落の寄り合いにも車、車がまさに足になり、 本当の自分の足はもう2キロ、3キロ先まで歩くことに使うことがなくなっている感じです。交通不便な 田舎では、もう車がないことはまるで足を失った身体障害者同然で、身動きが出来なくなった感じ でもあります。 |
だから昔は平気で歩いていた1キロ先のお寺が気持の 上ではるか遠くに感じられ、なだらかな坂道が急坂に 見えてくるのかもしれません。確かに歩くより車の方が 早いし楽に違いないことです。きょうび、このスピード 時代で、しかも忙しい時にわざわざのんびり歩くなんて 時間ももったいないということかも知れません。 |
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しかし、この楽を求め、速さを求めて、かえって仕事の量が増えて忙しくなり、便利さを求めて、 かえって不便さを感じることも多くなりました。日本人の働き蜂ぶりは昔も今も変わりません。 自らの将来の楽を求めて、便利さを求め続けてきた勤勉さのお陰で、さまざまな機械が発明され、 ロボット、コンピューター化の時代を作くてきたことであり、その努力の結果が今日の繁栄であり 豊かさであります。ところが、この繁栄と便利社界の陰に隙間に、彼のご婦人のように足を奪われ 足を失っていく人、、心を失っていく心身の障害者が増えて来ているよにも思えます。 |