こころの紋様 -ミニ説教-


〜終末期の生き方を考える〜

- 延命治療の是非 -


 最近ホスピスとか緩和医療と言う言葉を聞くことがあります。死期の近づいた患者に対して、今までの

ようにただ、死はいけないこととして忌み嫌い無理やり生かそうとする延命のための医療行為を抑えて、

死と言うことをタブー視せず患者の希望をかなえてやりながら終末期の患者の痛みや苦しみを和らげ

最期までその人らしい生き方をしてもらおうと言う終末医療のことです。具体的医療の内容は知りま

せんが、患者の尊厳を尊び苦痛を和らげ、家族の苦悩やショックを和らげながら一番いい形で最期を

迎えさせる、いわゆる美しい死を迎えさせるための医療として、スピリチュアルペインと言う魂の痛みの

緩和と言う医療行為がなされてきています。

 今、病院での最期を迎える人が多くなっています。

しかし、家で家族に看取られて死にたいと言う希望が圧倒的

だそうです。その、そうありたいと言う人には、それをかなえて

やり、医師が家庭に出向いて往診にあたり今までのような

医学的治療ばかりでなく精神的な看護を大事にし、患者や

家族の意向や希望を尊重していこうということなのです。

 友人の父親がなくなったのはもう十年も前のことでした。大きな寺の和尚さんでした。六十半ばで癌に

冒されしばらくは入院治療に当たりましたが思わしくなく、本人は癌の宣告を告げられるまでもなく、すでに

癌だと悟り「どうせ死なねばならないのだから、やりたいこともある、会いたい人にもあっておきたいから、

すぐ退院したい」と息子である友人に告げました。もう何ヶ月ももつまいと言われるほどの重病で動かせば

死期が早まるとの医師の言葉だったのですが、家族のたっての願いとあっての強行退院でした。

 やはり医師の心配通りで家に帰った父親は一週間後に

亡くなりました。お医者さんは大変悔やまれたそうですが、

父親は死ぬまでの一週間を親しい友達に会い、後事を

頼んで別れを告げ、心にかかる遣り残しの仕事をやり、

最後は妻子や孫たちを呼び一人ひとりの手を握り言葉を

かけ、我が家の空気を満喫し、思い残すこともないように

満足しきって亡くなったということでした。

 友人は退院してからの父親の一週間と言うものは、病院のベットで注射や点滴に明け暮れる二ヶ月、

三ヶ月より貴重だったし、意義も大きかったことを強調していました。「もし、医師の言うとおりにそのまま

ベットに縛り付けていたら、たとえ二ヶ月、三ヶ月長生きをしたかもしれないが親父はきっと心残りのまま

死んでいったことだろう。しかし、退院しての一週間は親父にとっては、自分の意思で動き、自分の

人生の最後を自分で飾って死んでいったことに、親父も満足そうだったし、家族の誰もが悔やむことが

なかったよ」と語ってくれました。自分の人生を生きるとは決して生に執着することではなく、永遠の

生はないことを理解するならば、死もまた人生の出来事のひとつとして捉え、死をも受け入れていく

ことも大事な生き方ではないでしょうか。輪廻の新しい世界の旅立ち、次の世への生まれ変わりの

過程としての死であります。決して恐るべきこと、厭うべきことではないのだと友人は父親の往生際の

見事さに思ったそうです。



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