こころの紋様 -ミニ説教-


〜過去は捨てられたり〜

失ったことを嘆くより


 ある夏の明け方こと。寝ていると突然右足にズキ、ズキンと激痛が走りました。深い眠りの中での

こと、夢かまことか区別のつかない状態でした。半夢の中で「あっ、これは痛風かもしれない」と

思ったのです。人づてに耳にしていた痛風という病気は足先からものすごく痛みが走るということを

思い出したのです。「ああ、自分もとうとう痛風という、厄介な病気にかかってしまったのか」と一瞬

がく然としたものです。それにしてもあまりの痛さに、無意識にも半眠りのまま手はその足先をさす

ろうとしていました。その瞬間指先ががさがさとするものに触れたかと思うと、今度は手先がちくり

として、びっくりして飛び起きてしまいました。ムカデだったのです。

 山寺のこと、ムカデの出没は珍しくないのですが、

五寸もあろうかというという大物で、あわてながらも

枕辺の雑誌をもって取り押さえて退治しました。

 とにかく急ぎ、虫刺されの薬を塗りながら、この

ときばかりはホッとするやら、嬉しくなるやら、とに

かく安心をしたものでした。ムカデに刺されたことが

嬉しいわけではありませんが、とにかく夢うつつなが

ら恐怖した痛風という怖い病気ではなかったからです。

 このつかの間の心の動揺で何か大事なことを教えられたような気がしました。不幸中の幸いとは

よく言いますが、人はどんな災難や不幸な目にあっても見方を変えれば災難や不幸が福に転じたり

喜びに変わったり、苦しみが軽減されるものだということを感じたのです。たとえば事故や盗難に

あうことは災難であり不幸なことですが、軽い怪我だけですんでよかったと喜ぶ。或は右手は失った

が、まだ左手が無事でまだ使える。また、命だけは助かってよかったと喜ぶように、人は誰もその

事柄の不運不遇を嘆くより、その不運災難の中から、何か一つでも最低限の救いや幸せの光明を

見出し、希望につなげるたくましい智慧を身に備え手いるのかもしれないなぁという思いがしました。

これは神仏から頂いたものか、先祖より受け継いだものなのかもしれないと思ったものです。

 不運不幸を嘆き、力を落とし悲しみに沈んだままでは

何の解決も救いもないことを誰もが悟らせていただく

力を持っているはずなのです。「無いことを嘆くより、

今あることに感謝せよ」といわれるように、既に失って

しまったものをいつまでの悔やみ惜しんでも返ってくる

ことはすくないことです。年を老いて身体が不自由に
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なる、物忘れをする、目が悪くなり耳も遠くなる等々、衰えていくのが自然の姿であることは皆理解

できることです。

 「過ぎ去ったものは既に捨てられたり・・・かくて現在の事柄をよく見極め、揺らぐことなく・・・」

とお釈迦様はお説きくださっています。過去への執着を捨て、今あることに感謝し足は弱ったけどまだ

歩ける、視力は衰えたけどまだテレビは楽しめる最低限の用は足せる等など、失ったことを嘆くより、

まだまだ残された我が能力をありがたく思い、それを活かせる可能性を見つけていきたいものです。



最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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