こころの紋様 -ミニ説教-


〜いつまでもあると思うな親と金〜

諸行は無常なり


 “いつまでもあると思うな親と金 ないと思うな運と災難”というざれ歌があります。現実、この世の中は

無常であり、万物流転と言われるようにすべてのものは常に移り変わり、常なるものはありません。

 何時までもあると思いたいし、あってほしいと思うのが人間の心情です。しかし、永遠にとは望まなくて

もわれわれ凡夫はいつまでもあり続けるかのように錯覚していることが多いものです。この常なりという

思い込みを仏教では顛倒(てんとう)といいます。一般にもよく知られる「般若心経」というお経の中に

「顛倒夢想を遠離して云々」という一節があります。顛倒とはさかさまな考えであり、偏見のことです。

 この顛倒には常・楽・我・浄の四顛倒があるとされ、その

一つが先ほど述べた当世常なりと思い込む顛倒です。

 また、当世楽なりと思いこむ顛倒もあり、この世は四苦

八苦の世の中で、苦しみに満ち満ちている現実の社会で

あるにも関わらず、常に楽であるべきだという思い込みを

持って楽を追い求め、得られぬゆえに不平不満をつの

らせ、そして苦しみを大きくしている顛倒があります。

 またこの世の中は自分中心を言うことはないのに自分中心の考えをし、自我をはり吾我に固執し執着

してしまう間違った考えの第三の顛倒。そして、この世の中の現実は不浄であり、不浄に満ち満ちている

にも関わらずすべては絶対浄でなければならないと言う思い込みをもって不浄を許さない偏見からくる

顛倒から苦しむことも少なくありません。

 この間違った考えを夢想〈夢のように現実でないこと〉と気付き遠離、即ちこの考えを超越するとき、心に

安らいの世界が現れるのだとされています。仏教では三毒( 貪り〈むさぼり〉・瞋り〈いかり〉・癡〈おろかさ〉

と五欲(食欲・性欲・睡眠欲・財欲・名誉欲)を心を悩ませ惑わせる煩悩とし、心の障りとしています。

 もちろん、顛倒の思い込みも心の障りであり煩悩をつのらせるものでありますが、仏の教えではこの

三毒五欲も顛倒も邪魔者、厄介者として否定し排斥してしまえとは申しません。

 煩悩即菩提〈さとり〉というように、自らの心を浄め、

境地を高め、三毒五欲に惑わされない境地を築く

ことなのです。世の中には確かに邪魔者、悪人なんか

いないほうが良い。だからといって、そのものを否定し、

排斥しようとすれば恨まれ、嫌われ、また争いが

生じる元になるでしょう。むしろ他を否定し排斥するの

でなく、むしろ自我を否定し否定し尽くしたところに

否定すべき邪魔者はなることなのです。
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 俗に“人は己の鏡だ”といわれます。人がわが鏡なら自分も人の鏡のはずです。自分が人によく映して

欲しいと思う以上に、自分も他の人をよく映してやれるように自分の鏡を綺麗に磨いておきたいものです。

 人はおうおうにして他の人の心の汚さを指摘し非難しがちですが、その汚き心こそ自分自身がその人に

写している自分の心であることに気付かずにいるのかもしれません。相手の非を我が心の悩みとすること

より、御仏の鏡に我が心を映し自己を否定し己を虚しくすべく磨き、清めていく修行、信心の道こそ尊い

ものなのです。



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