こころの紋様 -ミニ説教-
〜年だからすばらしい〜
―
老いの自覚は自らすべし
―
夕餉の支度途中、てんぷら油を火にかけっぱなしでかかってきた電話の応対に出た初老の婦人の 話です。電話の会話につい夢中になり、てんぷら油のことをすっかり忘れてしまいました。そのうちに、 油に火がまわり炎が天井近くまで上がり、肝をつぶしてしまったとのことです。ところがその反省をした 次の日、風呂を沸かしガスの火をつけたまま台所仕事などで忘れ、風呂の湯をぼこぼことたぎらせて しまいました。前日てんぷら油の失敗で、あれほど反省したのに、また似たような過ちをやってしまった としょげて「私もやっぱり年ですね」という言葉を吐いていました。 |
||||
日頃より働き者で、仕事のさばける人として通っている婦人 だけに、余計にショックだったのでしょう。 この婦人に限らず、とかく働き者で元気なお年よりは一日中 バタバタと忙しく動き回ることが多いものです。それは他人事 ならず、自分でも翌日は疲れたといい、足が痛い腰が痛いと ぼやき「私もやっぱり年だねぇ」とよる年波を感じながら、自分で 自分を慰め納得しつつも、老い方の難しさを考えさせられます。 |
年を重ねるごとに老化は進み、足腰は弱り、目はかすむ、耳は遠くなる、記憶力は二部というのは 無常に世の自然の成り行きの姿です。だから、その衰えが原因の失敗は確かに多くなることでしょう。 しかし、その物忘れや失敗を年齢のせいにしてしまうのは、自分の単なる不注意や安易さ、未熟さ 愚かさを棚に上げて、何でもかんでも都合の悪い失敗を年のせいにするのはずるい言い逃れのような 気がします。むしろ、年をとればとるほど経験をつみ、心豊かになり、熟練さも加わり、慎重さも落ち着き もでて失敗も少なくならねばならないはずです。 |
衰えは自然の成り行きで仕方がないのに、これを素直に 認めず、自覚しないでいつまでも若いときのペースで働こう としたり、若いときと同じ考えでやろうとするところに無理が 生じ、疲れが残ったり、体の不調が生じることでしょう。 記憶力の衰えているという自覚を忘れているから、メモを 取らず以前と同じやり方で仕事にかかるところに失敗が |
------ |
生じてしまうのです。いつまでも元気で若い心を持つのはすばらしいことでしょう。しかし、「年寄りの 冷や水」という言葉があるように無理せず、自らの体の衰えの自覚と共に、自分の年相応の慎重さ と心配りの自覚は忘れたくないものです。 |