こころの紋様 -ミニ説教-
〜ないことを嘆くより〜
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今あることへの感謝こそ
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過般ある農家の法事のお勤めが終わり、お斎きを頂きながらの談笑の中でのことです。 そのご主人が「和尚さん、何かいいことないですかねぇ」と語りかけて来られました。最近の世の中、 悲しい出来事、悲惨な事件が多い上に、世界的な経済状況の悪化が伝えられ、何かにつけ不平 不満、不信不安だらけの声ばかりです。農家にとっても先行きの不透明で不安な状況はぬぐえません。 そんな中での何気ない「何かいいこと云々」の問いかけだったことでしょう。そんなことは承知の上で、 私は「ほう、何か特別悪いことがあったんですか?」と私は意地悪く問い直したところ「いや、別に何が ということではないんですが、ただなんとなくぱぁーと景気のいい話がないものかと思って・・・」という ことでした。最近の世の中の暗いニュースの中で「何かいいことがないものか」と言いたくなる気持ちは 誰もが思うことかも知れません。 |
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ところが坊さんの悪い癖でついお説教じみたことを 言いたくなってしまいます。「何かいいことがないかを 言われますが、こんな言い家に住み、こんな良い ご馳走を出せる経済力があり、何より忙しい中に、 わざわざ故人を偲んで集まって来て下さる、こんな 良い親戚縁者があり、いい奥様がおられ、いい お子様たちがいて、これ以上何を求めますか。 |
いいことの真っ只中にいて何事ですか?」と笑ったものです。今頂いている幸せの中にいて、その 幸せを幸せと思わず、さらに宝くじにでも当たるようないい目にあいたいという淡い思いが、現状の 幸せを見過ごし、未だ来ていない将来の不安や憂いを先取りし、取り越し苦労し、心配事を背負い 込んで悩んだり、苦しんだり、そして逃れようとあがいている人が案外多いものです。 |
世間ではよく大病したり、もう助からないとさじを 投げられた不治の病を患っていた人が、名医に めぐり合いもあったかも知れないが、奇跡的な快復、 生還を遂げたはなしや、大事故にあいながら 奇跡的に助けられたという話を聞くことは珍しくは ありません。そんな時「神仏のお陰です」といい、 神仏のご慈悲や、力を感じたということを聞かされます。 |
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ほとんど助かる見込みがない状況の中での生還、蘇生となれば奇跡として誰もが認め、神仏の 威力を感じることでしょう。そして、これを奇跡として神仏のご慈悲ご加護に感謝を捧げるものです。 しかし、神仏の加護とはそういう奇跡的なものではなく、大病もせず、事故にも会わず、平凡で あってもささやかな幸せをいただいて毎日を無事に暮らせることのほうが本当は大きなご加護で あり、ご慈悲を頂いての幸せではないかと思えてなりません。ないことを嘆くより、今あることへの 感謝と喜びを認識し大事にしたいものです。 |