こころの紋様 -ミニ説教-


〜何事も無き今日の幸せ〜

奇跡の中に生かされて


 九州のある寺に火伏せのご利益があるという観音菩薩が祀られ、信仰されています。

その由来は戦国時代にそのお寺のお堂が焼失したということです。ところが焼け跡から黒く変色しては

いても一体の観音様だけは焼けずに残りました。和尚さんはもったいない、申し訳ないと小さな御堂を

建ててその観音様を祀りました。その後、また火災に遭い、その御堂も焼けてしまいました。

 なんと不思議なことに、この時も観音様だけは焼けずに残っていたのです。これには和尚さんを始め、

村人たちも驚き、観音さを不焼観音として崇めお祀りし信仰を深めました。

 その不焼観音の噂は噂を呼び、やがて尾ひれまで

ついて不焼観音の御札を頂けば火除けのご利益が

あるということになり、後世の今日、火厄除災の観音

様として参詣者を集めているそうです。

 これはその寺の伝承話であり、真実のほどは知り

ません。しかしちょっと考えるとおかしな気がしない

でもありません。

 観音様が、木仏でありながら二度の火災にも焼けなかったということは偶然の重なりとはいえ、

不思議なことであり奇跡としか言いようはありません。しかし、本当に火伏せの力のある観音様なら、我が

安置されるお堂の火災を防げなかったのかという疑問です。

 このような疑問を呈するのは信心の足りない者の発想でしょうか。我が祀られているお堂ひとつ火災から

護れず、しかも二度までも消失させた観音様にわざわざ他家の火除けの役を負わせようという人のほうこそ

問題です。人はとかく奇異奇怪なことを奇跡として有難がる傾向にあります。しかし、さまざまな天変地異が

あり、事件があり事故の多い現代、日々何事も無く、平穏無事でおられることこそが、むしろ奇跡的なことで

あり、この無事こそ大きな「お陰」なのではないかと、相次ぐ事故、事件、災害の世相の中で思わされました。



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