こころの紋様 -ミニ説教-


〜無事是れ奇跡〜

霊験は平凡の中に


  中国四川省の大震災では七万人近くもの死者が出て、被災者に及んでは一千万人にもなろう

こという大惨事でした。こんな中にあっても運命の分かれ目があり、同じところにいて同じ事故に

遭いながらも被害にあう人とまったく無傷で救出されたという人がいたりしています。

 先般どこかの工事現場でクレーン車が倒れる事故がありました。以前にもビルの外壁のタイルが

はがれたり、校舎の天井が剥げ落ちるというという事故が相次いで起きています。

 幸い人通りが無い時や、無人の教室であったために人身事故に至らかったものの、ひとつ

間違えば大惨事にもなったことでしょう。

 ところがあるとき熊本市内の繁華街で五階建てビルの

屋上のネオンサインの看板が落下し、通りがかった

主婦の頭を直撃すると言う惨事がありました。

 たまたま通りがかっただけで命を落とすことになった

ご婦人には気の毒であり、まったく不運な目に遭われた

というほかはありません。

 これとは逆に大事故に遭いながら軽い怪我ですんだとか、命びろいをしたとか、大病を患いながら

奇跡の快復を遂げたという話はよく聞くことです。そのような体験者の談話でよく「仏様のご加護を

頂いた」とか「先祖様、神様のおかげ」だという言葉を耳にします。なるほど助かる見込みが無い中で

の救助であるとか、無事の生還であり人知を超えた奇跡は奇跡として誰もが認め「神仏のおかげ」

であると感じやすいことでしょう。

 しかし、私はこのような話を聞くとき「なるほど」とうなずく反面、

なんら事故に遭わず、寝込むほどの大病もしないで元気で

毎日を暮らしている人こそ、実はもっと大きなお陰をいただき、

奇跡の中にいるのではないかと思うことがあります。

 神様や仏様は、人々の大病や事故のとき、憐れに思し召して

ご慈悲をたれ給いて、災いを軽くしたり命をお救い下さるという

ご加護を下さるでしょうか。

 そんな面倒且つ姑息な手段で神の威力、仏の慈悲をお示し下さるのでしょうか。

そうではなくて、神仏は常に私たちを護り導きご加護を下さるのだと思います。

事故にも遭わず、さしたる病気にもならず波乱無く平凡とも言える生活の中にこそ神仏の加護が

あり、慈悲がありお陰があるのではないかと私は思います。




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