こころの紋様 -ミニ説教-


〜 わが本年の年賀状〜

謹賀新年  平成二十年 元旦



 「今年こそ今年こそはと思へども三日せぬまの元の木阿弥」と繰り返した六十五年。私は昨年の暮れの

一日、休暇を頂いて誰にも内緒で宮崎市で行われた青島国際マラソン大会へ出かけた。かつてはどんな

に忙しくても時間を作ってひょいひょいとトライアスロン大会に出場していたが、最近では年齢的にも体力

的にも無理が利かなくなって日頃の軽いジョギングさえも億劫になり、運動らしきことはすべてか過去の

こととなってしまっていた。

 ところが最近、我が背中の曲がり、腰つき、立ち居振る舞いに老人特有の

姿を感じることがしばしばである。我ながら順調に進んでいる自身の老化

現象を受け入れざるを得なくなっていた。 そんな中、六十五歳の誕生日を

前にしてお役所から老人介護保険の加入と保険料の納付通知があったり、

国民年金の手続きの案内を受けて、愈々なのか、ようやくなのか、否が応

でも自分自身が既に老人域に達したことを知らされてしまった。

 老化や衰えは人生の正常な成長過程であり、その成長は自然のことであるから無理に逆らわず受け

入れることがまた自然なのだと思っているので悩みも悔やみも無い。だが老け込んだ老人くさいのは

自分でも頂けないし、人目にも快くないのでこれだけは避けておきたいという思いは人並みにある。

「どげんかせんならん!」と思ったら宮崎・東国原英夫知事の「どげんかせんならん!」とダブった。

 それならやっぱり、3回出場したことがある宮崎・青島マラソン大会への再出場が一番じゃろうがとの

結論になる。確かに体力の衰えは気力の衰えと連動し、気力の衰えは体力の衰えにも通じることである。

 自然に身を置き、自らの老いに向き合いながら如何に熟変を

目指すかが、 精進努力のしどころでもある。だが、いまさら

思いつきのマラソンなんて年寄りの冷や水、老人の悪あがき

にも思えたがすでに湧き出した妄想は抑えがたく、ぶっつけ

本番の青島国際マラソン大会の42・195キロへの出場となった。

 完走だけは“どけんかなったけど”おかしな世の中「どげんかせんならん!」とい思いつつ「どげぇも

ならん」あせりは一層つのる今年の新年である。そして精神年齢は一向に成長せずまた一歩後退、

幼児化傾向に向かっている気がしてならない。これも″どげんかせんならん!



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