こころの紋様 -ミニ説教-


〜 まっすぐなバナナ 〜

―個性の多様性を尊重する―



 なぞなぞ遊びではありませんが、バナナは曲がっているでしょうか、それとも真っ直ぐでしょうか?

誰が見てもバナナはそりかえって曲がってしか見えません。真っ直ぐなバナナなどあまり見かけないし、

様にはなりません。しかし、答えは真っ直ぐなのです・・・といえば、そんなバナナ(馬鹿な)と言って首を

かしげる人が多いことでしょう。でも私はそれでもバナナは真っ直ぐにしか見えないのだというへそ曲がり

の主張をいたしています。
 当然バナナは曲がっているのが自然であり、バナナの性質であり

バナナとしての正常な姿であります。もし真っ直ぐなバナナがあれば、

それはバナナとしては異常であり、曲がった性質のバナナといえましょう。

したがって、バナナの性質から言えば、曲がっているのが真っ直ぐなの

だと言えるわけです。何だか、少々屁理屈気味になりましたが、物事は

一面だけを見て判断し、結論付けてはならないと言うことです。

世の中は複雑で白黒の一面だけでは計れないことは誰もが経験して

きたことでしょう。しかし私たちは案外その一面だけの物差しで、黒白、

正邪の判別仕分けをしていなかったでしょうか。

 昔、タレントの黒柳徹子著の「窓ぎわのトットちゃん」と言う彼女の自伝物語が空前のベストセラーに

なったことがあります。あまりのはみ出しっこのトットちゃんは小学校一年生で退学になってしまったのです。

しかし、トットちゃんはよき理解者の母親に見守られ、型破りで個性尊重の自由な教育方針のトモエ学園の

校長先生にめぐり合い、その才能を伸ばしていくというお話です。

確かにトットちゃんは普通の直線定規では測れない、困った型破りの子供だったのです。だから、最初の

学校ではバナナを曲がっているとしか見えない先生はトットちゃんに直線定規に当て、曲がった子、駄目な

子としてもてあまし退学させてしまったのです。

 しかし、トモエ学園の校長先生は、バナナは決して曲がっている

のではない真っ直ぐなのだと見て、無理に直線定規を当てずに

バナナの真っ直ぐな性質を伸ばす教育をされたのです。

私たちは自分の尺度、自分たちだけの物差しで計って、

それがすべて正しいと見たり、思い込んでいないか反省させ

られることがあります。

 かつて地動説を支持した天文学者のガリレオ・ガリレイのように弾劾裁判にかけられ投獄されたり、

地球は丸いと言った人々はみんなにばかにされ、気狂い扱いされているように、一つの物差しでしか

計ろうとしなかった当時の悲劇は極端な例ですが、もっと身近でも、私たちは自分の一面の物差し、

あるいは直線定規を当ててわが子を叱り、聞きわけのない子として決めつけ、愚痴を言ってはいない

でしょうか。本来曲がった性質の、実は真っ直ぐなバナナを無理に一生懸命真っ直ぐにしようとして、

かえって曲がった性格の子にそだてたり、へし折ってしまっていないでしょうか。



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