こころの紋様 -ミニ説教-


〜 愛情と言う名の親のエゴ 〜

―子の悩みと苦しみの共有こそ―



 知り合いの家庭の子供の話です。病弱だった男の子は立派に成長しもう見上げるほどの中学二年生

です。思春期の曲がり角なのか親の対応も難しい年頃なのかもしれません。母親は何がそうさせたのか、

何が不満なのか、すねたみたいに口数も少なく反抗的で母親は心を痛めました。しかし少年は母親の

心配とは裏腹に夜の外出が増え、挙句の果てに万引きがばれて警察沙汰になってしまい、とうとう親は

学校へ呼び出されるはめになってしまいました。

母親はもうオロオロ、ただあわてるばかりです。

父親は「そう心配するな、そっと見守ってやりなさい」と言う

だけで、母親はそれがなお不満でなりません。もう夫にまか

せておれないと小言、叱言が始まりました。そして悪友との

付き合いを諌め、禁止し監視の目を厳しく電話にも聞き耳を

立てる有様でした。この子の心がすさみ荒れてきた原因は、

進学や人間関係など色々あるかもしれません。

 しかし、その原因が何であれ大切なのは親がどれだけ子供の心を理解し苦悩を汲み取れるかなのでは

ないでしょうか。中学生になれば事の善悪の判断は誰れでも出来ることで、あえて反抗したり自虐的に

非行を続けるのは学校に対し、親に対しあるいは社会に対しての無意識の抗議に思えてなりません。

 この子の親は知人です。たまたま所用で訪ねた折に奥さんから聞いた悩みでした。他人のことは冷静に

見えても、わがこととなるとわからなくなってしまうもののようです。母親の子にかける愛情とか、子供のため

に悩むと言うのは、決まって子供の気持ちを理解せず、あくまでも親の立場からの悩みや心配事である

場合が多いものです。

 つまり子供の将来のためにと言って勉強を強いる、塾へ通わせ成績

アップの後押しに、犬馬の労を惜しまず、やれおやつだ、夜食だと世話

を焼き、必要なものは何での買い与え適えてやれることが愛情だと思い

込んでいる場合が多いものです。だが、自我に目覚めた子供にとっては、

それはいい成績をとってもらいたい、人並みの高校、大学を目指して

ほしいと言う親の願望を背負わされているようなことも多いかもしれません。

 子供は学校での人間関係のほか、授業、成績の評価に疲れ、親の想像以上に悩み、言葉に表せない

苦しみを味わっているはずなのです。その抑圧が体を通して爆発したときが非行なのです。その子供の

心情をどれだけ親は理解されるでしょうか。その理解もないままに、早く立ち直ってほしい、世間に顔向け

できるようになってほしい、早く親を安心させてほしいと言うのは、親の愛情と言う名にカモフラージュされた

親のエゴであることが多いものです。泣いて子供をいさめる涙は、子供の苦悩を感じてのことでなく実は

母親自身の悲しみの涙ではないでしょうか。「本当に子供の苦悩、心痛をわがこととして、子供のために

泣けるか。親が子供の非行を苦しんでいてはだめなのです。子供の苦しみを如何に理解し、その苦しみ

を共にできるかが大事なことだ」とさとしたことがありました。これはもう昔話で、その少年は今は立派な

社会人となっておられ、私がよく相談をする立場の人なのです。



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