こころの紋様 -ミニ説教-


〜 精進のこころ 〜

―仏さまに好かれる道―



 食欲の秋です。夏バテをいっきに取り返そうとするのか、食欲がもりもりとわいて来るのは此の頃です。

私たちの生活の中で一番身近で、最も欠かせないのは毎日の食生活です。ところが、この食生活が

案外なおざりにされていないでしょうか? 私たちは食べるために働くのか、働くために食べるのかという

ことを深く考えることもなく、毎日の生活において当然のこととして食事をし、空腹を癒しています。

働くためにはスタミナをつけ、健康を増進し毎日を精力的にがんばっていることでしょう。

 しかし、自分では正しい、健康によいと思っている食事でも、案外それが間違いであったり、不健康な

食生活であるかもしれません。今、輸入牛肉の再開に関心が集まっていますが、現代ほど飽食の時代は

なく、食べ過ぎ、偏食による病人の多さは社会問題でさえあります。

 そんな時代だからこそ、信仰を基にした食生活としての精進料理の

見直しを考えてはいかがでしょうか。精進と言うと単純に肉やお魚など

の生臭を使わない料理と言う理解が一般的です。しかし、精進と言う

意味は、ひたすら仏道修行に励み努力することなのです。

即ち、飲食を正し、言葉や行いと正し、身を清めて不浄を避けた生活を

送って行く普段の努力のことなのです。だから、精進とは食事だけに

限らず、日常生活の全般にわたる慎みある生活に通じることなのです。

 では、その精進において食生活が何より大きなウエートを占めるのはなぜでしょう。「健全なる精神は

健全なる肉体に宿る」と言われるように、仏教においては精神の健全、心の安らぎこそ悟りをめざす上に

おいては大事なことで、神仏との感応を得るためにも、この身と心を清浄に保つことが必須とされ絶対

条件とされてきました。したがって、そのためにお肉や魚を避けてお野菜中心の食べ物に限られるように

なってきたと言うことなのです。なぜ、野菜食がよくて生臭がいけないのかといえば、肉食は殺生戒に

ふれるということだけではありません。信仰し、修行する上から魚肉食は血を汚し、心を汚す食としての

マイナス面を先師、祖師たちは体験として、あるいは智慧として知っておられたからこそ、生臭は修行上

堅く禁止されたのです。  

 自己の身心を清浄にし健全なる精神をもって大自然と一体となり、神仏に

生かされ加護される自分をつくることこそが精進であるならば、仏教者として

誰もが食事を正し、生活を正し、より御仏のおしえを頂き、導きに預かる努力

をしたいものです。その精進にかなって仏様は加護を下さり、安心や喜びを

お与えくださるのです。どうしたら仏さまに好かれ、導かれる人になれるか、

その努力こそが精進であり信仰なのです。



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