こころの紋様 -ミニ説教-
〜 花を訪ねん輪廻道 〜
―人生のあらたな選択―
ある時、北海道の知人よりラベンダーの押し花の「しおり」の入った便りが届きました。 無粋な私にはいささか不似合いとも思ったが、心遣いがありがたい。「しをり」は「栞」「枝折り」とも書き、 見知らぬ山野歩くとき、この来た道をもう一度通らんがために、道端の木の枝を折って道しるべにした ことにはじまるといいます。 |
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「吉野山 去年(こぞ)のしをりの道かえて まだ見ぬかたの 花をたずねん」 と歌人、西行法師は詠んでいます。西行法師は吉野山の 桜の花のあまりの見事さに魅了されて、よし、来年もまた この所へ花見に来ようと思い、帰りの道端の辻々に枝折り しておいたのでしょう。ところが翌年再び吉野山を訪ねて きたものの、去年の道しるべの枝折りしていた道を行かず、 まだ通ったことの無い別の道を行くことにしたというのです。 |
まだまだ他にすばらしい桜の景観の場所があるかもしれないという心情を見事に歌ったものです。 西行法師はこのほかに「願くは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ有名な歌がある ように、桜の花をこよなく愛し、桜狂いと思えるほどに桜の花を題材にした歌を無数に歌い、とうとう彼は 吉野山に草案を結んでしまったくらいです。その西行法師ですが、そのもう一度見たいと思った去年の桜の 景観の場所にもいささかの未練はのこるが、それよりも、はるばるここまで来たのだから、まだ他にもっと すばらしい景観の場所があるかもしれないという思いがして、遂に別の道へ行こうとする旺盛な好奇心と 浮気心が感じ取れます。浮気心と云っても、最近流行の不倫などと云う意味ではありません。「しをり」の 道の定番通りに行かず、より美しいものを求めてやまない向上心や探究心の旺盛さのことです。 |
私たちは人生の選択において、無難な道を好みがちになる ものです。つまり枝折したる道を行く方が安全だし、間違いも 少ないことでしょう。そのための「枝折り」なのだから当然その 安全で間違いのない道を択ぶべきかも知れません。 システムの通りに行う、ノウハウに副って行うことが一番無難 であり、間違いの無い方法です。つまり、「しおり」の道を行く ように毎年同じこと、或いは先例にならい同じことを行う、同じ 行動を繰り返す、それは合理的で無駄が無く、いちいち考え 悩むことなく、精神的にも肉体的にもはるかに楽なはずです。 |
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だが、それは平凡であり、新鮮味も薄く、緊張に欠けやすいものです。また、時には惰性に流れ感動にも 欠けるかもしれません。だから、西行のように、どうせ行くなら、多少の勇気と冒険心をもってしおりの道とは 別の道を択ぶのもいいかもしれません。それはまた不安と失敗とが背中合わせながら、まだ見ぬかたの花を たずねんとする人生のほうが面白いし、興味も感動もあることでしょう。 |