こころの紋様 -ミニ説教-


〜 精進の誓いと日々の行い 〜

―感謝の心を育てる―



 「和尚様がたのお説教ではすぐに『感謝しなさい』『有難いことと思いなさい』と云われますが、でも、ありが

たいとどうしても思えないのに、ありがたがったり、感謝の気持ちが湧かないのに感謝なんてとても出来ま

せん。それでも無理して感謝したり、有難いふりをしなくてはならないのですか?」と云う率直な質問があり

ました。 「いや、そんな必要はありませんよ。感謝の心が無いのに感謝できるはずも無いでしょうし、無理に

感謝したり有難がるには偽りであり、へつらいになることでしょうから、その必要はありませんよ。

腹が立つときは腹を立てればよいし、不愉快なときは怒れば

いいのです。でも本能のおもむくままに、感情のままに腹を

立てたり、怒ったり、不幸を並べて不平を言っていては心の

安定はないし、人としての成長も無いではないですか。

だから、ここに心の修行としての信仰が必要なのですよ」

と答えました。

 信仰によって大自然を含む神仏との触れ合う中に心は豊かになり、自己の尊さも学ぶことが出来るのです。

従って無理に感謝する必要はないし、有難がらなくても自然に感謝の心も、有難いと思う心も生まれてくる

ものですから、そうなるよう精進してくださいと願ったことでした。一般に信仰とは、仏や神にお経を唱えたり

祝詞(のりと)をあげて拝んだり祈ったりすることと思われがちですが、ただ、それはたしかに大事な信仰の

手段で要素なであります。しかし、信仰にとって大切なのは神仏の教えを頂き、その教えを我がものにして

いく日常の行いの努力精進こそ大切なのです。

 仏の教えを行うのは、即ち、上求菩提(じょうぐぼだい)という自己の向上を目指す

精進と、下化衆生(げけしゅじょう)いう、より多くの人々のために尽くす努力精進が

なければならないことです。その精進の日々の誓いの姿勢が祈りの信仰であり、

日々まことを捧げる行としての拝みの信仰があるのです。この真の信仰が

あって、御仏の心に副い、仏の御心に副うことによって仏のお陰を頂くことは

当然のことでありましょう。こちらがわざわざ願わなくても、仏はその人の行う

功徳、積徳に応じてお守り下さり、お陰を授けて下さるのです。



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