こころの紋様 -ミニ説教-


〜 現代にある姥捨て 〜

―敬老から軽老へ―



 今年も敬老の日は過ぎましたが、これは仏教経典「雑宝蔵経」にある仏教説話です。

遠い昔、棄老国と云う老人を捨てる国がありました。その国の人々は誰でも老人になると遠い山に捨てねば

ならないという掟がありました。その国の一人の大臣は、如何に掟とはいえ、年老いた父親を捨てることが

出来ずに、秘かに敷地に深く穴を掘って地下室を作り、そこに父親をかくまって孝養をつくしていました。

 ところが、この国に一大事が起こりました。それは神が現れて、王に

向かって難題を投げつけたのです。それは 《此処に2匹の蛇がいる。

この蛇の雄・雌を見分ければよし、もし出来なければこの国を滅ぼして

しまう》 と。これには王はもとより誰一人として蛇の雌雄を見分けられる

ものがいません。

 王はついに「見分け方を知っているものには褒章をあたえる」と国中に布告を出しました。かの大臣は家に

帰り、秘かに父に尋ねると、父親は「柔らかい敷物の上にその二匹の蛇を置くと、騒がしく動くのがオスで、

動かないのがメスである」と教えました。大臣は父の教えの通りに王に答えて難題を解決しました。

 しかし神はその後も次々に難問を出してきました。その度に大臣は父親の智慧を借りて難問を解決しました。

その一つに 《大きな象の重さをどうして量るか》 と云うことです。「それは象を舟に乗せ、舟が水中にどれだけ

沈んだか目印をしておいて象をおろし、次にその目印の深さまで石をのせ、その石の重さを量ればよい』と

云う答えです。 

 そして最後に神は骨と皮にやせた人に変身して 《世の中にはこの私よりもっと

餓え苦しんでいるものがあるだろうか》

大臣は「それはある。世にもし心がかたくなで、心が貧しく、仏法僧の三宝を

信ぜず、父母や師に感謝しない人がいるならば、その人は餓えきっているだけ

でなく、その報いとして後の世に餓鬼道に落ち、長い間餓え苦しまねばならない」

と答えました。これ等の難問に対する答えはことごとく神を喜ばせ、また王をも

喜ばせました。

 そして、王はこの知恵がひそかにかくまっていた大臣の老いた父親から出たものであることを知り、

それ以来、老人を捨てる掟をやめて孝養をつくすように命じたということです。

このように日本にあった姥捨て物語などもすべて孝養につながる話で結ばれているように、儒教や仏教の

心を持つ日本においてはむしろ孝養が尊ばれ、親孝行の厚いものはお上より褒賞が与えられ、人々からは

尊崇されたほどです。
 ここ宗像にも武丸正助の孝行話は有名で今も正助廟が祀られています。

日本には昔、天明、天保の全国的大飢饉のときでも老人は無用とか、無駄飯

食いだとして捨てたり殺したりしたということはありませんでした。

 〜孝行者として黒田藩より賞された正助をまつる正助廟〜 (写真左)

 むしろ「姥捨て」「棄老」の話を語り継がせて孝養の大切さを教え、孝養を奨められて来ました。

ところが老人週間が作られ、敬老の日があり、老人福祉が充実してきた現代はどうでしょう。

昔の姥捨ての話とは逆に、現代では病院や老人施設への姥捨て状態が現実に行われているのは

皮肉な話です。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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