こころの紋様 -ミニ説教-


〜 幸せは自分が築くもの 〜

―日に吉凶善悪なし―



 当たるも八卦、当たらぬも八卦と世はまさに占いはやり。手相・人相・家相・印相や星座占い・霊感占い・

血液占いなど等大盛況です。TVでは毎朝の番組の占いコーナーは高視聴率だそうです。

私も「今日の射手座は」などうという声を聞けば、ふと仕事の手を休めてTVに目をやってしまうこともあり

ます。それはその場だけのことですぐ忘れてしまう位で、その占いによって一日を気にしたり左右される

ものではありません。

 最近は急須の網目の関係から、茶柱を見ることがほとんどなく

なりました。どんないわれがあるのかはともかく、朝の茶柱を

縁起が良いとしてたわいなく喜んだ時代が懐かしくもあります。

もちろん縁起が悪いよりよい日がいいに決っています。

よい日を願うのは誰もが願うことです。しかし、あまりにも日常

生活の中で、方角のよしあし、運勢のよしあし、物事の吉凶に

執われ過ぎて判断能力を忘れ、いたずらに気にして不安がった

り、逆に浮かれたりで一喜一憂し、自らの生活の幅を狭くしては

安心した生活が失われてしまいます。

人は何をもって吉凶善悪を決めるのでしょうか。日に吉凶善悪なしと云われるように、いつがよい日で、いつ

が悪い日と云う仏の教えはどこを探してもありません。

 陰陽占い師たちはさておいて、私たちにとっては、自分が望むお天気で風雨なく晴天であることが最もよい

日の人もいれば、田植えを待つ農家の人にとっては待望の潤いの雨の日こそよい日であるといえましょう。

「冠婚葬祭入門」の著者は「参列者の都合のよい日が吉日、むしろ仏滅の日のほうが、却って式場がすいて

いて、サービスもよく、吉日と云える」と述べていましたが、現に大安吉日に死ぬ人もいれば、十三日の金曜

日や仏滅に生まれた人たちが不幸続きだということは聞いたことがありません。むしろ大安吉日に結婚し、

盛大な披露宴を開いて新聞雑誌をにぎわしたスターたちが、数年或いは数ヶ月で次々に離婚している皮肉な

現実をどう見たらよいのでしょう。

 仮にさまざまな占いをすべて信じたならば本当に幸せになるのでしょうか。

たとえば印相が悪いくらいなら、さして大金も要らずに新しい印鑑を作り直す

ことが出来ましょう。しかし、印相はよくなったが家相が悪くて不幸なら家を

作り変えなければなりません。家相はよくなっても今度は墓相が悪ければ

お墓も作り変えなければならなくなります。その前に家計の具合まで悪く

なって、とうとう人相まで悪くなりついに整形手術でもしなければということに

なり際限がなくなってしまいます。

 仏事では多くの人が気にするのが「友引」で、大安と同じく陰陽家の言う

ところの六曜の一つであって、この日は何事においても勝負がないという

意味で、死人が友を引っ張るということではないのです。

 六曜は月・火・水・木・金・土・日の七曜と同じようにはじめは曜日を表わす用い方をされていたようで、

月曜日が吉日とか、火曜日が凶日だなどと云うことは無いように本来大安、先勝、友引の六曜にも吉凶の

意味はありませんでした。さらに方位、方角も本来自然界には吉凶は無く、その目的により立地条件、風や

陽のあたり具合等を考慮して自分が一番よいという気持ちに徹していけば、その方位がよい方角なのです。

もっと自分の判断力と決断に自信をもちたいものです。「迷信は不自信より生ず」と云われていますが、もっと

私たちはまわりを気にするより、自分の考えに自信をもって物事を判断していきたいものです。



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