こころの紋様 -ミニ説教-


〜 寒苦鳥になる勿れ 〜

―その内に過ぎる悔やむ一生―




 私は歯科医院に行くの大変苦手です。前々から虫歯とは分かっていたのですが、時々しみたり痛む

程度で、耐えられないほどでもなくて、ずるずると二年以上も我慢し続けてきました。治療に通う暇が

ないというより、生来の不精のほかに私の最も恐怖を感じ、苦手とするところであると言う単純かつ

幼稚な理由に過ぎなかったのです。
 いつかは歯医者さんにかからねばと思いつつ、痛みが去れば、

またこの次にしようと先延ばし先のばしをしてきたものです。

そんな繰り返しの中で、ふと仏典童話の中の「寒苦鳥」の話を思い

出して、なんだか自分が寒苦鳥そのものではないかと可笑しく

なったものです。

 それは昔の仏教の逸話で、ヒマラヤに棲むという寒苦鳥は怠けもので巣を持たず、昼間は遊び呆けて、

夜になると木の枝で寒さにふるえて耐えがたく、朝になったら必ず巣作りをしようと思う。ところが朝になり、

暖かくなってくると巣作りのことはすつかり忘れて遊びまわり、また夜に震えて苦しみ、翌朝は必ず巣を

作ろうと心に誓いながら、朝になればまた遊び回るという動きを繰り返するうちに、とうとう寒苦鳥はみな

凍え死んでしまったという話です。

 このように私たちも嫌なこと、苦手なことはついつい先送りして今は忙しい

からその内にとか、態勢が出来たらとかの言い訳づくりを考え、実践をため

らいがちになることがすくなくないものです。その内に、その内にと思いつつ、

気乗りがしなくて遅れたり、やれなかったり、時期を逃したり、忘れたりで

結果的に約束破りなどをしてしまうこともあります。たとえ悪意はなくても

裏切ったり、信用をなくしていることの多いのは私だけだろうか。

 「いずれその内に」という言葉はその場しのぎには実に便利なことばです。その気がないわけではないが、

今は出来ない、しばらくの猶予を願いたい時などによく使う常套語ですが、社会生活の上での多用はあまり

好ましいことではないようです。人の世はまさに無常迅速、時人を待たずで、時はどんどん過ぎていく。

「時のときとする時はこない。待つときでなく作る時である」とあるように、体勢が出来たらやろう、暇が出来

たらやろうでは、信仰者の姿勢ではない。自分がその時を作り、体勢を作っていくところの仏教者としての

精進があるのだとおもいます。 
 いずれその内にの「その内」とは二、三日のことなのか、一、二ヶ月

なのか、それとも半年なのか三年なのか、いささか心もとないもの

です。いづれその内にとあいまいに先延ばししている間に約束が果た

せなくなってしまいます。この軽率な言葉の積み重ねが、時には

口業となり、いずれその内にその責めが自分に返ってくることもある

かもしれません。さらに寒苦鳥さながらに自分の寿命さえ尽きてしまう

かもしれません。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

 ぜひご感想をお寄せ下さい。

E-MAIL ns@jyofukuji.com

 戻り