こころの紋様 -ミニ説教-

〜 戒名は死者の名にあらず 〜

―院号に価値ありや―



 ある法事の後の茶話のとき「和尚さん、私が死んだときの戒名は『酔狂院酒呑放蕩居士』という戒名は

どうでしょうか?」という冗談めいたことをたずねて来た人がいました。お酒も入り心地よかったのでしょう。

「なんと贅沢な戒名を考えたもんですなぁ」と笑って、いいとも悪いとも答えず、折角のお説教の場であった

ので、戒名の意義についてのお話をいたしたことがありました。

 戒名の意味については今までも何度か、このコーナーで取り上げてきたことですから、ここでは、簡単な

説明にとどめます。戒名とはもともと仏教に入信して「仏教の戒律を守っての信仰生活をいたします」と誓う

受戒の儀式を受けたときにつけてもらう名前であって、本来は死者につける名前のことではないのです。

その仏教の戒律の中の最初の誓いが五戒です。

1.不殺生戒(ふせっしょうかい)・・生き物をむやみに殺すことなかれ

2.不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・・盗むことなかれ

3.不邪淫戒(ふじゃいんかい)・・・淫欲にふけることなかれ

4.不妄語戒(ふもうごかい)・・・嘘偽りを言うことなかれ

5.不飲酒戒(ふおんしゅ)・・・・自制心を失わせる酒は慎むべし。

 この5番目の飲酒を戒める「不飲酒戒」を含む生活を正すための戒律をたとえ形式であれ、誓わせての

戒名であれば、なんで“酔狂院”だの“酒呑放蕩”などというふざけた戒名がつけられましょうか。

やはり戒名という以上、少なくとも仏教徒の最低限の戒律である五戒を意識に入れておきたいものです。

単に死者につけるだけの形式的な名であったとすれば、これは戒名とは言えず何の意義もないものです。

ところが今や、その意義のない戒名が今や一般的なのかも知れません。現に、遺族なり親しい人たちが

故人の冥福を祈る場合、果たして戒名で呼びかけるでしょうか。やはり、生前慣れ親しんだ故人の名前で

呼びかけるし、そのほうが実感がこもり、故人にも通じるものがあると思うからでしょう。

死んだ故人が、死後に付けられた戒名をどれだけ認識するでしょうか。

冗談ですが怪談のお岩さんや、番町皿屋敷のお菊さんたちが幽霊となって

『恨めしやぁ~。○○院○○大姉の幽霊でございます』と名乗って出てきた

話は聞きません。やはり「お岩でござ~い。お菊でござ~い」と出たほうが

自然なように思います。仏戒の介在しない戒名なら、ことさら戒名なんて

不要なもので生前の名前お葬式はできないことはありません。

ましてや「地獄の沙汰も金次第」とばかりに金銭の多少によって戒名が与えられ、その善し悪しが

云々されるというのは邪道であり、愚かしきことであり、仏の教えに逆らうことでもありましょう。

今日、戒名に院号がつけば高級ないい戒名とされています。その院号が戒名に付けられるように

なった起源を探ってみると、もともと戒名とは無関係なものでした。

 「院」というのはもとは中国唐・宋時代の役所の呼び名だったのです。ちょうど衆議院、参議院や養老院、

少年院などのようなものでした。その後日本では天皇の退位後の住居の名を○○院と呼んだところから、

院は『尊敬すべき高位の人』という意味に用いられるようになり、さらに後世は将軍や大名などが自分の

権威を誇示する手段の一つとして、○○院、○○院殿と呼ぶようになり、その院や院殿がそのまま戒名の

上につけられていったのです。

このように、天皇、・皇族あるいは大名や豪族などの住んでいる場所に対する

敬称だったのです。商人で言えば屋号のようなものでその商店の主人を呼ぶ

のに名前でなく、越後屋さんとか紀伊国屋さんとかの屋号で呼ぶのと同じ

なのです。 だから、いかに立派な戒名や院号をつけたところで死んでいった

人には無縁なものです。

ただ、立派な戒名を付けたんだといと、周囲に誇示する遺族の見栄に過ぎ

ないのではないでしょうか。

<戒名のない森鴎外の墓>

「余は石見人、森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言に基づき、郷里 島根県津和野永明寺には

俗名の「森林太郎墓」が建てられているという。



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