こころの紋様 -ミニ説教-

〜 祈りの点検 〜

―呪いのわら人形―



 今月の18日は観音様の縁日の法要をお勤めしますが、そのとき参列の皆さんと共に観音経をお唱え

します。観音経には「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)=彼の観音の力を念ずれば」というように観音さまの

偉大なる功徳力の数々が説かれています。念ずれば花開くというように、私たちの願いにやさしくお応え

下さるのが観音様でありましょう。では仏様は私たち念じ祈ることを何でも叶えてくださるのでしょうか。

 昔、京の都に観音様をまつる大きな寺の門前に、二軒の団子屋さんが

ありました。この二軒の団子屋はどちらも本家を名乗り、お互いに向かい

の団子屋を偽本家といい、我が家こそ本家だと主張して、相手をののしり

あう犬猿の仲でした。両家はそれぞれに観音様にお参りし「我が家の商売

繁盛を祈り、どうか向かいの偽本家の没落を願います」と祈りあったといい

ます。これは単なる笑い話に過ぎないでしょうが、果たして観音様はこの

両家の祈りにどうお応えくださるのでしょう。

 今年もまた年末ジャンボ宝くじが発売になることでしょう。残念ながら私は一度も宝くじに当たったことが

ありません。それもそのはず、お付き合いで一度買ってもらっただけで、自分で買ったことがないから

仕方がありません。夢を買うのにいい投資かもしれませんが、多くの人が一等、特等が当たりますように

と願いを込め、神様仏様といって祈ったことでしょう。

 佐賀県だかの宝当神社に宝くじ権を持ってお参りして特等

などに当たった人が続出というTV番組の紹介で、宝当神社に

お参りの人が後をたたないとか。「これが当たればたくさんの

お供えをします。寄付もします。恵まれない人々への施しも

しますからどうか、一等賞をお願いします」とか「いや一等賞で

なくても三等賞での四等賞でも・・」などと、こんな願いがあの

宝くじ売り場の長い行列から聞こえてきそうです。このように祈りや願いは自由ですが、祈っていい祈りと、

祈ってはならない祈り、好ましくない祈りがあるように思えてなりません。

 もうずいぶん昔の話です。私が京都にいるとき愛宕山から西山方面へ山歩きをしているときでした。

ある尾根のところにある小さな社のそばの木に、なんと胸に五寸釘が打ち込まれたわら人形があり、

一瞬ギクッとし、背中に寒けが走ったことがありました。ご存知だと思いますが、人を呪い殺すとか、まともに

かなわない恨みをはらすときなどに、人知れずわら人形に呪いを

込めて釘を打ち込むという呪詛(じゅそ)の方法があるのです。

今まで映画の時代劇の中での話しとしては見ていますが、現実に

恨みが込められているであろうわら人形を見て心地よいはずが

ありません。まだ修行前のことで、しかも人気のない山奥でのこと

なのでうす気味悪く早々に立ち去ったことがありました。

 呪詛(呪いの祈り)が果たして祈りといえるかどうかはともかく、あの人憎い、あの人は悪い人だから罰を

与え給えと人を妬み、恨んで人に復讐するとか、他人の不幸を願う祈りは理由の如何によらず祈っては

ならない祈りだということは常識でもわかることですが、それでもなお祈らねばならない恨みがあるという

現実があることは恐ろしい限りです。

 お釈迦様は「私をののしった、私を笑った、私を打ったと思うものには恨みは鎮まらない。恨みを忘れて

はじめて恨みは鎮まる」というお言葉を残されています。恨みをはらすことはひとつまた悪業を重ねる迷い

であり、祈ってはならない祈りです。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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