こころの紋様 -ミニ説教-

〜 仏をまつり、神を祭る 〜

―日本のおおらかな信仰観―



 先般、地元の宗像異業種交流会が遠賀の高倉神社の施設を会場として行われました。私は交流会には

よく欠席するものの設立以来のメンバーであり当然のこととして参加しました。

そのときアメリカ在住で今一時帰国しているというあるご婦人が、神道という神社の宗教施設において神職

と仏教寺院の坊さんが一緒の場に違和感なく座っていることに好感なのか、変な関心を示されたのです。


高倉神社での交流会
 どちらかといえば異教を排斥しあう傾向にある欧米ではこういう光景は

あまりないらしく、日本の仏教と神道が仲良く共存しあっていることに

不思議がられているらしいのです。それはなぜかとよく問われるそうだが、

ご婦人自身信仰認識が薄く自分ではよく説明が出来ずにいたそうです。

その積年の「何故なのか」の疑問を僧侶の私と神官さんに質問を向けて

きたのです。一神教と多神教のお国柄の違いや汎神論的な説明もあり

ますが、そういう理屈でなくて、日本にはもともと仏教伝播以前から、

あらゆる物に神宿るとする自然崇拝的な民俗信仰がありました。そこに仏教が伝わり結びつき、更に、印度

の仏菩薩や仏法守護の神祇、侍衛の神々が転生し日本の神となって現れたという本地垂迹(ほんちすいじゃく)

なる思想が生まれました。本地垂迹思想さらに広がり平安の頃より盛んに神仏習合が行われてきたという

歴史がありました。以来、神仏共存は当たり前のようになり、決して珍しいことではありませんでした。

 昔は奈良の興福寺の鎮守の神社が隣接の春日大社でした。

また、今年、世界遺産に登録された熊野に連なる那智の滝のある

那智神社は同じ場所にある西国三十三観音霊場の一番札所の

青岸渡寺の鎮守社であったことはよく知られることです。全国

各地に神宮寺の名の寺があり、神社と一体になっている妙見寺

や妙見宮、権現寺や権現神社などは神仏習合時代のなごり

そのものです。

      青岸渡寺と那智の滝

 その神仏習合の歴史は明治の神仏分離、廃仏毀釈が政策として行われて、表面的には失われてしまい

ました。ところが、長い歴史に培われた庶民の信仰感覚としては仏教と神道は異教ではなく、同じ次元で

今もなお、各家には神棚を祀り仏壇を安置し、寺にも神社にも何のこだわりもなく自由にお参り出来る自然

さをもっています。それは西欧にはない信仰観であり、また理解しがたい信仰観であったのかもしれません。

しかしそれは、日本人のおおらかで、誇るべき日本の信仰観なのです。

 他所のことでなく、承福寺とて宗像大宮司の菩提寺でもあり、宗像

大社との関わりは古く、今も御付き合いは続いていて、承福寺で祭る

大宮司の遠年忌法要や、毎年の命日の墓前祭には大社の宮司が

参列し、また宗像大社の大祭には案内状を頂き、承福寺住職として

参列するのは恒例のこととなっています。

仏教の教義と神道の教えとは違いはあれ、日本の古来から自然崇拝、

先祖崇拝の共通の心があり、異教として相対立することはないのです。

 確かに、本来の仏教では自然崇拝、先祖供養の教えではないかもしれません。しかし教義、宗旨とは

別にした民衆宗教としての日本仏教が息づいていることを無視しては日本の信仰は語れるものではあり

ません。「己こそおのれのよるべ」として自力を尊ぶ傾向にある、承福寺が所属する禅宗にあっても、本堂

には本尊ばかりでなく諸尊菩薩をまつり、庫裡には大黒天、韋駄天というインド伝来の天部の神、山神、

水神八大竜王などへの回向のほか、土地々々に祭られる鎮守社への回向さえなされてるように、十方

一切の諸尊、諸霊さえ尊び祀るほどに、神仏一体の日本の仏教信仰、神道信仰が歴史と風土の中で融合

された日本固有の信仰が厳然として伝えられているのです。

 このような信仰を、キリスト教的の西洋的信仰観から見れば、日本人は信仰に対して、無定見で節操が

ないように思われがちです。しかし、これこそ西欧人の理解しがたい日本独特の信仰観であり、おおらか

で幅広く、ふところ深さをもったナチュラルな信仰であるといえましょう。それは他の国にない日本の豊かな

風土から生まれものだからなのです。


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