こころの紋様 -ミニ説教-
〜 豊かな人間性を誇る「老」 〜
―毎日が敬老の日だ―
お釈迦さまは人間の大きな苦悩のもととして、生老病死の四苦をあげられています。そのひとつの「老」と いうことは、最近の高齢化現象に伴い大きな社会問題となっていて、誰もが無関心でおれない問題でも あります。老という字は″土≠ニ″化≠ゥら成り立っています。老とは即ち土に化するというより自然に帰る ことでありましょう。自然とは、ありのままの姿、人力の加わらない状態です。したがって、老とは俗世の邪念 をすて、人間本来の純真なる姿になった状態であるといえます。私たちは「老」というと、すぐに「老人」「老眼」 「老病」「老廃」「老醜」といった暗いイメージを連想しがちです。 |
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しかし、「老」とは決して「老いる」「ふける」といった暗い意味 ばかりではありません。「老練」「老熟」「老巧」「老境」など 人間の精神的成熟、人間性の豊かさを意味する言葉であり、 経験の豊かさを誇る言葉でもあります。また「老師」「老将」 「長老」「老兄」「老舗」などの老は年輩者や歴史の古さの名に 添える格調ある言葉であり、決して忌み嫌う言葉などでは ありません。 |
「老」は生まれたときから始まるものだといわれます。その誰もが避け得ない老を嘆くより、老ということ を積極的に受け止め、むしろ老いることに自身をもち、老による豊かな経験と老練、老熟な人間性を誇れる 「熟変」でありたいものです。ではなぜ本来尊敬されるべき老人がなぜか嫌われ、敬遠されるのでしょうか。 江戸時代の禅僧、博多の仙崖和尚の老人六歌撰が、実に良くそれを捉えています。 |
○ 皺(しわ)がよるほくろはできるこしまがる 頭は禿げる髪しろくなる ○ 手は慄(ふる)う足はよろめく歯はぬける 耳は聞こえず目はうとくなる ○ 身にそうは頭巾襟巻き杖めがね タンポ温石(おんじゃく)手便孫の手 ○ くどくなる気短になる愚痴になる でしゃばりたがる世話やきたがる ○ 聞きたがる死にともながる淋しがる 心がひがむ欲ふかくなる ○ 又してもおなじ話にまごほめる 達者自慢にひとはいやがる |
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人として一番淋しいことは人から嫌がられ敬遠されることではないでしょうか。老人の生き方ほど、 むずかしいものはないかも知れません。人に真に敬われ老境に達するには、なみたいていのことでは ありません。嫌われて老いる人たるか、あるいは老熟、老練さが光り、皆に長老として奉られたり、尊敬 される人たるかは、若いときからの普段の精進次第だといわれます。一年一辺の敬老の日だけしか大事に されない老人でなく、私たちは三百六十五日の毎日を敬老に日とされるべく精進し、自らの心のおさめたる 熟変者でありたいものです。ちなみに今年の敬老の日は今月の二十日の彼岸の入りの日。 どうかお寺参りも忘れずに! |