こころの紋様 -ミニ説教-

〜 孝養の道を語りつぐ 〜

―姥捨て物語の効用―



 奥飛騨の一重ヶ根温泉にある禅通寺には学生時代からの山友達がいる。何せ、朝達ちすれば槍ヶ岳や

西穂高岳が日帰りできる場所にあり、夏休みなど何度となくお邪魔した寺である。その禅通寺にはナタ彫り

彫刻の円空仏で有名な円空上人が長く逗留したらしく、十数体の円空仏が祀られている。その円空の

名を頂いて彼は禅通寺で国民宿舎「円空庵」を経営し、宿泊客へ座禅指導などしている。


なた彫りの円空仏

 その禅通寺の近くに念仏平なるところがあり、姥捨ての伝説があるという。

かつて、あるテレビ局が「姥捨て」をテーマとする取材班がやってきたらしい。

ところが、彼ら取材班によると「これまで各地の姥捨て伝説の地を訪ね、

姥捨ての追跡調査をすればするほど、分からなくなり、厳密に調べていくと、

姥捨ての事実はなくなってしまう」のだという。一重ヶ根の念仏平の伝説も

例にもれず、やはり単なる伝説でしかなかったようだ。姥捨てとして最も知ら

れる長野県篠ノ井線の途中にある「姥捨」だろう。駅名になっているほどで、

深沢七郎の小説「楢山節考」の舞台ともなった所である。

さらに映画化されてカンヌ映画祭ではグランプリを受賞して一層「姥捨」の話は世間に知られたものである。

ところが、この地元役場の村史編纂室では、史実としての確証は何もないらしく、そこの地の長楽寺でも

やはり姥捨ての事実はないと否定しているという。今まで、テレビや時代映画で姥捨てを題材にしている

のを見ているので、てっきり昔の貧しい時代は本当に姥捨てがあったのだという思い込みでいた。

ところが、友人が教えてくれたテレビ局の取材調査の話から、姥捨てはただの伝説であり、仏典から出た

物語であることを知らされたものである。今までは姥捨ての話は暗い時代の物語であり残酷でおぞましい

ことだとの思いがあった。だが、実はその姥捨伝説は全て目出たし目出たしの孝行話の結末でおわって

いるのだった。

 その伝説話とは「昔、60歳を過ぎた年寄りはコモや、籠に入れて山に

捨てる習わしがあった。そこで、ある男が60を過ぎた父親を山に捨てに

行った。すると一緒についていった子供が、そのコモを持ち帰ってきたの

である。そこで、父親はそんなものを持ち帰って何にするのかとたずねる。

子供は『お父うが60になったら捨てねばならぬ。そのときのために

とっておく』といった。


 禅通寺の円空庵禅通寺の円空庵

 それを聞いた父親は恐ろしくなり、自分のしたことの浅ましさを恥じて捨てた親を連れ戻り、人知れず

親孝行をした」という話や、「年老いた親を背負って姥捨て山へ行き、別れ際に捨てられた親が息子に、

来る道々に木の枝を折っておいたから、それを道しるべにして迷わないように帰るよう教えたという。

息子はその親の子を思うやさしい心根に捨てて帰れず連れ戻り、人目につかぬように家にかくまって

孝養を尽くした」。あるいは「姥捨ての決まりごとの実行が出来なくて、捨てたように見せかけて家の

奥に隠していた。ところが、殿様から村へ難題が持ちかけられ誰も答えを出すことが出来ず大弱り。

このとき、隠しておいたその親が難題を解き村を救った。結局お年寄りの経験や培われた知恵は

大切にしなければならないということになり、姥捨ての制度は廃止され孝養が勧められた」という

ように、仏教経典の「雑宝蔵経」の日本のアレンジ話が姥捨て話となり、いづれも孝養を勧める教訓

話だったのである。


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