こころの紋様 -ミニ説教-

〜 ハレルヤの言葉にも勝る 〜

―「おかげさま」は日本のこころ―



あるとき、息子さんに付き添われながらも遠方からの老婦人の参詣があり、挨拶の見えられたので「ようこそ!

お元気そうで何よりです。まあどうぞ!」と歓迎したのですが、その老婦人からは「元気じゃないですよ。

足も腰も痛いし、何やかや病気ばっかりして、年とってちっともいいことないですよ」と現状のこころねを正直に

語られたました。確かにご婦人のその愚痴りは今の心境そのものなんだろうと思いつつも、いささか悲しくなり

ました。そういえば最近「おかげさまです」という言葉を聞くことが減ったような気がします。

心許せる和尚だから正直に、ありのままの思いが口について出た

のだろうと、好意的に解釈はいたしましたが、病身で不自由とは

いえ、やさしく付き添う息子さんがいて、何十キロも離れた遠方から

会話しながら参詣にこれる元気さがあり、見た目にもその親子の

姿がほほえましくもあり、幸せの様子であっただけに、その老親の

愚痴のことばにいささかがっかりいたしました。嘘をついてまで

「元気だよ」と強がりを言えとは申しませんが、「お元気そうで!」

「ハイ!おかげさまで何とかお参りできました」とか「息子のおかげ

でこれました」という「おかげさまです」という言葉が忘れられている

気がいたしました。

たまらず私は「何いってるんですか?いくらご病気がちといっても、介添えしてもらいながらもちゃんとお寺

参りができる元気さがあり、優しい息子さんがいて下さってるおかげがあるじゃありませんか。」とたしなめた

ものでした。「おかげさま」というありきたりな用語に過ぎませんが、「おかげさま」という言葉には先祖から

引き継いできた日本人の心があり、日本人の信仰の原点であると思うからです。

お蔭という言葉は神仏や人から受ける恩や援け、情け、恵みに対する感謝の表現の集約されたことばです。

人はただ一人生きるにあらず、大自然の恵み、そして、特定の誰れというわけで無く、さまざまな有縁無縁の

人々の支えがあり、その社会の恩恵の中に生かせて頂いている、その感謝の気持ちこそが「おかげさま」

なんだと思います。それは日本人が仏教、神道を含めての大自然とともに培ってきた自然信仰の普遍の

祈りのことばであるからです。

キリスト教で喜びや感謝を表す「ハレルヤ」ということばに

通じる気がいたします。また「アーメン」という祈りの言葉

にも通じるとさえ思っています。アーメンとは「たしかに」

「かくあれ」「その通り」つまり神様の仰るとおりという意味

だと聞いています。それはまさに「おかげさま」の心の言葉

なのだと思います。

その「おかげさま」の言葉が失われつつあるということは、物事に対する感謝の心が希薄化し不平不満が

満ち満ちてきている時代であるのかもしれません。日本人はみな昔っから、誰かれのためということなく、

皆様のおかげであるという今日あることを感謝し「おかげさまです」という詞として感謝の気持ちを表して

います。そのことばが失われるということは不平不満が充満している状態であり、日本人が日本人でなく

なるということではないかと思います。平凡でありきたりな「おかげさま」のことばを大事にし、子々孫々へ

引き継いで頂きたいものです。



最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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