こころの紋様 -ミニ説教-
〜 親切はお節介なのか 〜
―姑の立場のわきまえ―
二世帯別棟住宅や別居生活などが増えて生活形態が変わり、嫁と姑の関係から来る諍いもあまり聞か されることも少なくなったように思えます。しかしまだまだ二世帯同居であれば嫁の悪口、姑の悪口は なかなかなくなりそうにありません。西村タカさんは働き者でいつもニコニコとした温厚な御婦人でした。 しかし唯一の悩みは嫁との仲がうまくいってなかったことです。タカさんはいつも嫁に合わせ、嫁にいい 姑と言われるようになりたいという努力をしていたのですが、どこかにずれがあり、こちらからする 「おはよう」のあいさつにも返事をしてくれないということでした。 |
||||
同じ屋根の下に暮らす家族の中で自分だけ無視されることほど つらいことはありません。温厚なタカさんだけに、怒ることもあり ませんでしたが、やはりそのつらさをつい坊さんのわたしならと 思ったのか「なぜでしょうね。こんなに私は気遣い、努力をして いるのにどうして嫌われるのか。前世からの悪縁だったの でしょうか?」 と胸の中の苦渋をポロリと出されました。 |
しかし、そのお嫁さんは結構近所付き合いもよく、子供たちからも慕われ、夫からの嫌われるところもなく、 ただ、タカさんとの仲だけがうまくいっていないだけでした。元気者のタカさんは早起きです。家人に迷惑に ならないようにそっと庭掃除をします。庭掃除が終わるころお嫁さんが起きてきて食事の支度をバタバタと します。もう孫たちの学校に出かける時間、息子〈嫁の夫〉の出勤時間、ぎりぎりです。タカさんは気が気で はありません。嫁はもう子供たちの食事の世話で忙しそうなので、嫁の手伝いとばかり、息子の飯をつぎ、 味噌汁をよそったり、はては玄関へ行き、息子の靴までも磨き会社へ送り出すのが日課のようになって いたようです。 どうやらそれがお嫁さんの不機嫌の原因のらしい。 |
|
タカさんは決してでしゃばったつもりはありません。 しかし嫁の立場としては、このお手伝いは親切どころか、 姑のでしゃばりであり耐えがたい屈辱であったことでしょう。 たとえ忙しくても子供の世話をやくのは母親として当然の こと、また妻として夫の身の回りの世話をやくのは当然とし 喜びと言うべき考えであつたのかも知れません。 |
|
その嫁、妻の世界へ姑が入ってきて、これ見よがしに靴まで磨き、出勤の送り出し間でやられたら、嫁と しての立場がありません。しかも、姑には悪気はなく、親切心であるだけに文句も言えず、よけい心底、 苦々しく、つい当りちらす態度になったのでしょう。あるいはお嫁さん自身さえそれが腹立ちの原因だとは 気付かずにいたのかも知れません。 |
せっかくいいことをし、親切のつもりのお手伝いが、実は大変な 過ちを犯し、逆にお嫁さんを苦しめ、恨みを買っていたのです。 「私は何も悪いことをしていない」と思っていていることがとんでも ない間違いであり、迷惑どころかとんでもない悪業づくりでさえ あったのです。そのことを指摘し、自分が嫁の立場からみて、姑が 頼みもしない嫁の領域、母親の領域まで立ち入られたらどう思う かを考えて見ることを促したことでした。 |
|
その後、二人の関係は改善されてのち、タカさんは末期がんの宣告を受けて、お嫁さんのかいがいしい看病 の中に、わが娘たち以上の優しさを感じたと述べられ、感謝と安らぎの中に静かに息を引き取られました。 |