こころの紋様 -ミニ説教-

〜 やさしさだけが愛情か 〜

―観音様とお不動様―



あるマーケットでの出来事です。買い物を済ませて外に出ようとしたとき、果物売り場で小さな子供が、

ボールペンでみかんやリンゴを突き刺していたずらをしていたので注意しました。それに気づいた母親が

あわててやめさせたのはいいのですが、その言い草がなんとも腹立たしく、情けなくなるではありませんか。

「しゅん君!よしなさい。こんなことしてたらおじさんに叱られるじゃないの」とその母親は子供の手を引いて、

さっさと出て行こうとしました。みかねて「奥さん、その果物は?」とただすとさすがに気恥ずかしそうにそれを

レジに運んでいき何やら詫びたことでしょう。


 この母親は家庭でいったいどんな教育(しつけ)をしているのだろ

うか、と思わざるを得ませんでした。たとえ果物といえど、他人の

商品をキズ物にしたのだから、その非を諭し、厳しく叱って「ごめん

なさい」と詫びさせ、母親自身がお店に詫びてこそ子供に対する

生きた躾であり、善悪理非をわきまえさせる大事な教育ではないか

と思います。

「叱られるからよしなさい」では子供は悪いことをしたという反省もなければ、また叱られなければ、どんないた

ずらも許されるると誤解してしまうでしょう。

教育ママだの過保護だのと、親のだらしなさが叫ばれて久しいが、多くのの親たちが抱いている最も大きな

誤解は「愛情」とは子供の思い通りにさせてやる「やさしさ」だと思い込んでいることではないでしょうか。

その上、黙って思い通りさせてやれば物分りのよい親としてご機嫌が取れるから、なおさらやさしく思い通りに

させがちなのかも知れません。 電車に乗っても、血眼になって子供の座席を取ろうとしている親。

座席シートに土足で立つ子を知らん顔で許している親が少なくありません。それを他人が注意しようものなら

「余計なこと」と言わんばかりににらみつける親がいます。しかし、いったいこの子達が大きくなったらどうなる

のでしょう。

何より悲劇なのは、さんざん尽くした親がまず最初にうら

ぎられるということです。自由気ままの教育では、傲慢で

不遜で利己的な人間が出来上がり、厳しさのない親など

子供は尊敬するどころか馬鹿にするのが落ちでしょう。

さらに悲しいことは、そのような傲慢で不遜で利己的な

人間を、社会は快く受け入れてはくれません。

結局、最もつらく悲しい思いをするは、子ども自身です。やさしさが、時としていかに罪深く残酷な結果をもた

らすかを知らねばならないと思います。

観音様は「やさしさの」の象徴、また、剣を持ち怒髪天をつく姿の不動明王様は「厳しさ」の象徴と見ることが

出来ます。この「やさしさ」も「厳しさ」も、いずれも仏様の衆生を導く慈悲慈愛の仏心の働きです。

優しさで導き、優しさの愛情表現もあれば、怒りをもって、拳骨で導き、ムチを打つ愛情だってあることを現代

の親たちは忘れてはならないと思います。


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