こころの紋様 -ミニ説教-

〜 隠居和尚の死に支度 〜

今をどう生きるか



最近よく檀信徒の方々より「ご隠居様は、ご健在でおられますか?」という隠居和尚の消息をきかれるように

なりました。「はい、健在ではありませんが、まだどうにか生きています」とか「往生際が悪くて、まだ、生きて

るんですよ」などと冗談ぽく返事をしていました。というのは、健在という意味合いをどう解釈するかによって、

隠居和尚は病人であるとも言えるし、見た目、気持ちの上では健在であるとも言える状態であったからです。


隠居は十数年前に眼底出血をして以来、一部分の視界を除きほとんど失明状態に

なり、新聞はもちろん、一切の活字から遠のきました。それでもラジオとテレビの

音声と、町のボランティアの方が持参してくださる、町の広報誌の朗読テープを聞いて

何とか情報は得て満足していました。また、その上、下腹部に癌が見つかりましたが、

もう八十過ぎという高年齢でもあり、危険を冒して手術するより、進行性の癌ではない

のでこのまま寿命を終えようとの本人の意思で、時々の通院検査とお薬を頂いての

療養で過ごしながら、身辺整理などの死に支度をすっかりし終えていました。

そして元気な間の顔を遺影にしておこうと、写真屋さんに来てもらい、出来上がった

袈裟衣姿の自らの遺影写真を喜び、部屋に飾って、もう十年くらいになります。

そんな中でもつい最近まで寝つくことが無く介護の必要も無い日常生活を送り、寺の行事の大法要には、

袈裟衣をつけて参列していました。少々耳が遠くなってはいましたが、電話番、留守番くらいはつとめて

おりました。しかし、九十五歳になった今春より次第に弱り介助が必要になり、また衰弱が目だって、

いよいよ病院へ入院となりました。

今までは冗談で言ってきた「まだ生きてます」の言葉が、

今はもう「生前中は皆様には大変お世話になりました」

という言葉でしかお答えできなくなりました。 

 それでも、八十にして失明と癌の二重の障害に会い

ながら、その煩わしさはあっても愚痴にせず、苦悩と

せずに子供たちには我がままを言い、叱りながらも、

受け入れて前向きに生きてきた隠居和尚のこの十数年を見せられて、学ばされることも少なくありません

でした。苦悩の正体は比較であるといわれるが、若いとき、元気な時との比較をすれば、老いや病気が

愚痴になり苦悩になろうが、その比較をやめて、今の現実を受け止めて、今をどう生きるかに、生きる

尊さがあることでしょう。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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