こころの紋様 -ミニ説教-

〜 礼儀知らずが非なのか 〜

(とが) める前の思いやり



当寺の背後にある湯川山は471mで手頃な中高年の登山・ハイキングのコースであり、それに連なる

四つ塚連峰は健脚向きとして結構登山者の上り下りがあります。そのためということではないが、昨年

駐車場の拡張に伴い、境内うちにあった参拝者用の便所を駐車場そばに新設して、登山者にも気軽に

使用できるようにしました。というのも今まで、登山者は遠慮がちなのか、厚かましくなのかは知らないが、

境内の便所を勝手に借りてよく汚していったものです。それは仕方が無いが、今までの便所の設置場所が

景観的にもよくなかったので、この際役員会に諮って参拝者にも登山者にも、そして景観的にも配慮して

建て替えたわけです。


だから登山者にはかなり便利になり、簡易水洗化したので

利用しやすく、好評であろうと勝手に思っていますが、利用者の

マナーの無さには閉口です。

汚しっぱなし、電気のつけっぱなしなどある程度その予測はして

おり、注意書きや、利用者自身が後始末にしやすいような諸用品

を備えていました。しかし結局今まで以上に当寺の住人が汚れの

後始末をするはめになっています。

そんな状態の中で、梅雨晴れ間の一日その近くの植木の手入れをしていた家人を無視して、中年婦人の

登山グル−プがトイレを利用し、使用後にも何の挨拶もなく行き去ろうとしたのです。家人はいささかその

無礼さに腹がたち「他所の施設の使用をするのに何の断りも無く、寺の者がここにいるのに一言の挨拶も

無いのは、大人として非常識ではないですか?」とたしなめたといいます。

登山者は思わぬ咎めにあわてて、自らの非をわびたまではよかったが、その後の言い訳の「先輩が教えて

くれなかったので・・・」という言葉であったというのです。まったく子供のような言い草になお一層は腹立た

しくなったと嘆いていました。

私は「登山者にも使用できるように配慮して設置したの

だから、あえて咎めることも無かろうが」と家人に逆に

注意しましたが、いつも掃除し管理しているものとしては、

やはり一言の挨拶ぐらい欲しいというのが、偽らざる

気持ちだったのでしょう。確かに、わざわざ、寺の玄関

まで来て、挨拶をしてもらおうというつもりは無いのです。


しかし、大のおとなたちが明らかに寺の住人が目の前にいるのに、それを無視し何の挨拶も無く当然の

ごとくどやどやとやられては、「この人たちはなんと厚かましい人たちだろう。汲み取り料だって結構かかって

いるんだよ」と腹立しい気持ちにもなるも当然かもしれません。この家人の話を割り引いてきいても、最近の

大人のマナーの悪さ、常識の無さが指摘されているのも肯ける気がします。と言うのもわがホームページ上

での問い合わせや、相談事での無礼さ、非常識さも少なくないからです。顔の見えない不特定多数の人々の

交わりのインターネットの世界では、あまり常識とかマナーにこだわっていたら相談室などやっておれません。

そういう世界なんだという割り切りと、そういう人たちを受け入れ切れる私の修行の場でもあります。

どんな人であれ、こちらは誠実に答え、誠意ある回答を発していくだけです。

もちろん誠意あるたしなめや、注意を発して咎めることも回答者と

しての見識であると思っています。本当にそれが嫌で、腹立ちする

のが嫌ならその相談コーナーを閉じればよいわけです。

常識の無い人たちに使わせたくなければそのお便所を潰せば

よいわけです。しかし、失礼な言いかたかも知れないが、むしろ

そういう非常識な人々をも受け入れ、気持ちよく清々しく帰して

やれる様な開かれた寺でありたいという思いが私にはあるわけです。小さなことに目くじらを立てず、こちら

から「お疲れ様、お気をつけてとお帰り」と快い言葉をかけてやれる、むしろ身内の教化からやり直しであると

思わされました。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

 ぜひご感想をお寄せ下さい。


E-MAIL ns@jyofukuji.com
 戻り