こころの紋様 -ミニ説教-

〜 無責任は誰だ 〜

親こそ教師である



ある大学教授から聞いたことですが、講義中なのに学生たちの私語が目立つようになったし、時には

トイレに行きたいと訴える者がいて授業の差し障りが気になって仕方が無いというのです。ところがその

傾向はどこの大学でも同様だということを現役の国立の医科に学ぶ大学生から聞き、ひところ問題に

なった小、中学校の学級崩壊現象が大学まで及んだのかという思いにさせられ愕然としました。

「近頃の若者はだらしない」「根気が無い」「責任感が乏しい」「他人のことは考えず自分本位だ」などと

若者に対する風当たりはますます強くなっています。


確かに、そういう批判されても仕方が無い事実は存在して

います。しかしただ若者を批判し攻撃するだけでは何の

問題の解決にはなりません。女子高生の援助交際という

売春にたまげてしまい眉をひそめましたが、そういう風潮を

助長する大人の社会があるということが何より困った現象

であるといえます。

子供は家庭の、そして社会の反映でもあります。子供は敏感に反応します。若者がだらしないのも、

無責任なのも、他人のことを考えないのも大人がそうであり、社会がそういう傾向があるからであると

言うのは過言でしょうか。先の大学では、教授への通達として、講義中のトイレへ行きたいとの学生の

訴えを認めるようにということが記されているとのことでわかるように、学生とのトラブルを起こしたくない

大学の事なかれ主義が見えてしまいます。教育は家庭、学校、社会の三つの分野から成り立っている

と思います。人間の一生の頭脳の機能は、生後一年と二ヶ月でほぼ決まるということが云われている

ほどで、その教育の第一は家庭から開始されます。人としての基本的生活習慣も幼児の頃にその

基礎がつくられ、運動神経は十二、三才でほぼ完成すると言われています。この間の生活時間が最も

長いのが家庭です。

だから家庭こそ最も重要な教育の場であると言えます。

ところが、一般世間では親はわが子に対して家庭での

教師であることを知らず、日常生活の中に教育がある

ことを理解していないようです。教育とはいわゆる学校で

教えるもの、塾で教えられる学問のことぐらいにしか

思わない親御さんたちが多いのかもしれません。

教育即学校という条件反射が出来て、責任はすべて学校に、あるいは社会のせいにして、自分たちの

しつけの出来ていないことまで学校や先生の教育の不十分さのせいにしてしまう傾向にあります。

子供は親の後姿を見て育つと申します。教えることは、説明や講義して教えることばかりではないはずです。

家庭生活の中における人としての生き方を、身をもってしめしていくことではないでしょうか。「氏より育ち」と

言われる通り、父母の影響、家庭環境がどれだけ子供に左右するかは、計り知れません。教育現場に

いない私でさえ、今の教育の現状を憂えざるをえません。だからと言って何も出来ないことながら、仏教者

としてと言うより一社会人として、嫌われながらも躾け教育、社会人としてのあり方を示し、折に触れて訴えて

いきたいと思っています。


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