こころの紋様 -ミニ説教-

〜 一字一魂をこめる 〜

写経の功徳とは何か



「京都観光のとき、ある寺で勧められて写経をしてきましたが、わけも分からずただ文字をなぞってきただけ

ですが、写経って何か意味があるんでしょうね。」という若いお嬢さんの質問です。

ブームというほどではありませんが、今もあちこちの寺や文化講座でも写経が行われているようです。

写経の始まりは知りませんが奈良・薬師寺の建立を発願された天武天皇は大蔵経の写経をされたとか。

また貴族高位の古い墳墓からは納経筒が発掘されていることからも、信仰の証としての写経は古くから

行われていたようです。
写経で有名なのは何といってもわが宗像の地の田島の興聖

寺の僧、色定法師の五千余巻にも及ぶ一筆一切経です。

何年かかったのかは知りませんが、膨大な量の一切経の読破

さえ大変なことです。それを書き写すにはもう気も遠くなるほど

の時間を要します。それをあえて写し終えたその情熱と根気と

努力には驚嘆し敬服するばかりです。現在、国の重要文化財と

して宗像大社の宝物館に預けられていて、その一部が展示され

ています。一字一字丁寧に写し取られた文字に色定法師の思い

が伝わってまいります。

写経はもともと印刷技術のない時代すべての経典は、口伝えや書き写しによって伝えられ広められたもの

でした。仏教の普及を国家事業とした奈良時代には国営の写経所が設けられ、数多くの経典が 書き写され、

仏教興隆に大きな役割をはたしものです。しかしその後木版などによる印刷技術が進み、大量の複写が

可能になったことで、写経は経典の普及という「蔵経」より信仰的意味合いとしての「願経」に変わってきました。

経典を一字一字書き写すことにより、経典の功徳に自らが預かろうとする心が、信仰心となり、また自らの

願いや祈りの気持ちを込めての家内安全・病気平癒・所願成就の写経、その功徳を他へ施すことを意図した

「為○○霊位菩提」の写経が行われるようになって参りました。

もうそこには経典を写し複製として手に入れるとか、お経の内容を

理解するとかは抜きにして、ただ一心に書き写す一字一字に心を

込めて行うことによって、純心、無心の境地を味わう修行的形態

としての写経が行われるようになりました。承福寺では写経会と

いう形式ではありませんが、毎週木曜日の祈りの集いの後、任意

の参加で写経の時間を設けています。

写経のお経は宗派によって異なるでしょうが、現在一般的には般若心経か、観音経が用いられています。

それはいずれも適度の長さで、一枚の紙に収まり、書き上げる時間も程がよく内容的にもある程度の理解も

出来やすい手頃さがあるのかもしれません。枚数を重ねることによる継続もし易い点で誠に写経に都合の

よい優れたお経だからです。

停年を期して写経を発願し毎日欠かさず書き続けて20年、傘寿を無事迎えることが出来ましたと、般若心経

五千数百枚を寺に納められた方がいます。色定法師の五千余巻の一切経には及ばないまでも、山と積ま

れた写経からこの方の信念のほどが窺われます。この方はもう写経が生活の一部であり、生活の呼吸となり、

今日が自らの体の中から手に伝わり経が紙に写し出されるのかもしれません。きっと大きな写経の功徳を頂か

れておられることでしょう。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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