こころの紋様 -ミニ説教-

〜「賀正」という名のミニコミ紙〜

私の迷惑年賀状



今年も何枚もの年賀状を頂いた。最近は手書きが減り印刷や、またパソコンによる写真つきのものも多く

なりました。年賀状は日ごろお会いすることの無い懐かしい方たちからの消息を確かめ合う手段であったり、

単なるお付き合いであったり、中にはどなたかしらという場合もあって、戸惑いもあり嬉しかったり迷惑なもの

も様々です。 その迷惑年賀状の発信者が実は私かもしれません。

謹賀新年・・今年もよろしく程度の形式的なご挨拶だけの年賀状では何となく自分と

しては面白くもなく、つまらない気がする私は、二十数年来「賀正」というタイトルの

年に一度発行の、いわゆる年刊ミニコミ紙として年賀葉書一枚にかけるだけの

エッセイなのか駄文作の一文を小さな文字で書いてきました。購読者私に年賀状を

出してくれた人です。ところが、それは下手な文章の上に下手な小さな書き文字

なので、読みづらくなっていて虫眼鏡がいるとか、読んでないよとか大変迷惑がら

れているようです。

しかし、中には読むのを楽しみにしているとか、眼鏡を拭いて待ってるよと言う方が結構いてくださるのです。

素直で疑いを知らない愚かな私は、それをお世辞であるとか、皮肉であるとか言うことを理解できずにまに

受けて、大喜びして相変わらず今年も例の駄文を綴った年賀状のをしたためて出してしまいました。



−私の今年の年賀状−


漂泊の俳人種田山頭火が当寺を訪れたのは昭和のはじめのことだった。

法縁の宗俊和尚に伴われてであったが、かなり酒を飲んでいた。

至極横柄な彼の態度に応対をした当時、まだ若僧だった父、大拙和尚は

厳しく叱り追い返したという。彼はこらえ性がなく弱い人間だった。だから

酒をのみ自分を紛らわせ、酔いが覚めると自虐的反省を繰り返す悲しくも

憎めない男である。そのときの彼の日記に「俊和尚のお相伴で方々を

ご馳走になり上調子になり過ぎていた。そのことが寒い一人になって私を

責めた・・・朝、俊和尚に別れを告げ、鉄鉢
(てっぱつ)をかかえて路傍に

立った。その時、かつ然として全身全心を霰
(あられ)が私を打ち据えた」

その時の句が“鉄鉢の中にも霰”の名句である。

実は私もこらえ性がなく弱い人間である。およばれのパーティー会場で知らない男が薄型のデジカメで

パシャパシャやっていた。一寸と厚かましくも触らせてもらい性能を聞くうちに、私は子供みたいに自分も

ほしいと思った。私はすでに大き目ながら性能的には優れたデジカメを持って満足している。ただそれは

少々重くて持ち歩きには不便で小型が欲しいという潜在的欲望があった。本当に今必要なものなのか??。

でも結局こらえ性がなく買ってしまった。手のひらに入る小さなカメラを手にして欲望をかなえたと言う嬉しさ

の反面、欲望をこらえきれない弱い自分であることに私は自虐的反省が沸く。私が山頭火と異なるのは、

酒を飲めないことと文学的才能がないことが悲しい。「当たり前じゃ。たかがデジカメ一つに自虐性を感じる

のは、こらえ性以前に、君は根本的なところで貧乏性なんだ」と友の浩平はガハハと笑った。

なるほどそれは言えてるねと私は納得し安心を得た。今年は何かいいことがありそうだ。





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