こころの紋様 -ミニ説教-

〜人類滅亡のとき〜

天敵のいない人間の末路



「天敵のいない動物は必ず滅びる」ということが言われています。動物には必ずといっていいほど、それ

ぞれに天敵とするものがいるようです。例えば、ネズミには蛇が、蛇には鷹や鳶が、アブラムシの天敵は

てんとう虫などが知られています。食ったり食われたりして動物の社会はちょうどバランスが保たれている

のだそうです。一見残酷に見えてもこれが自然の姿なのです。

ところが、私たち人間にだけは天敵とする動物がいないのです。

それなのに今日まで滅びることなく人類は栄え生存しているのはなぜ

でしょう。それは私たち人間は天敵という動物のかわりに「つつしみ」と

「感謝」という知恵を働かせて自然に適応してきたからではないかと

考えます。昔の人たちは神仏をあがめ、天に謝し、地に謝し、自然の

中に己の分を知り、己の心の中に天敵にあたいする「つつしみ」を

もって、自然と共に生きてきたと思います。ところが現在、人間にとって

天敵にあたいした「つつしみ」と「感謝」ということが、現代の物質的豊か

な社会では軽んじられてきているのではないでしょうか。

“天敵を失った動物は滅びる”と言われるように、自らの心の中に有るべき、慎みと感謝という天敵を

失った人間は、自らのおごり高ぶりによって自滅への道を歩みだしているように私は思えてなりません。

大自然の摂理の中、神仏の命を頂いて生かされている人間が、自らの貪欲なむさぼりによって自然を

破壊し、資源を浪費して地球を汚し続けることの未来は人類の破滅しかありません。いくら寛大な

大自然であれ、慈愛の神仏であれ、聞き分けのない子に厳しく諭す拳固のように、愛の鞭を振るうが

ごとく天変地異を表し、大自然による抑制と淘汰が行われていくことでしょう。

お釈迦様は「身に慎みなくして、世の施物を食らうことなからん」

と申されています。一昔、それ以前か、資源枯渇が叫ばれ、

石油ショックで省エネ、省エネと節約ムードがたかまり、「物を

大切に!」ということからリサイクル運動が活発になってきました。

「物を大切に使う」ということは大変いいことですが、その発想が

「地球の資源は有限であり、乏しくなっているから大事にしなけ

れば」という考えがその根底にあることには賛成しかねます。それでは、資源が無限にあれば好き勝手に

使い放題、使いぱなしに浪費を続けてもよいのだということなのでしょうか。

仏様の教えは、どんなに豊富に物があっても、これを受け消費する人間につつしみがなければ、抑制心と

感謝の心がなければ、ものを受けたり、あるいは米や野菜なども口にする資格はないとさえ言われているの

です。資源に限りがあるから物を大事しようではなく、私たちが生きるために消費する食べ物も、着物も家も

単なる物ではなく、大自然からの恵みであり、神仏からの授かり物であり、施物であるはずなのです。

だから、つつしみと感謝でもって受ける人こそ、その施物に与れる資格者であるといえましょう。


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