こころの紋様 -ミニ説教-

〜信仰の功徳とは何か〜

願うものに加護するにあらず




自然現象というのは特定の誰かのためにあるのでなく、大自然の条件の中で雨が降ったり、風が吹いたり、

日和が続いたりするものです。ところが、承福寺の法要や祈りの集いに参加する人たちの中によく「今まで

あんなにひどい雨だったのに、私が寺へお参りするときには不思議に何時も止んでしまうんですよ。やっぱり

仏様のお陰を頂いているんですね」と言うような話を耳にすることがしばしばありました。「それはよかった

ですね」と私も心からそう言う受け止め方をされ、御仏へ感謝を表されようになられている心持をうれしく思い、

共に喜ぶことがあります。

もちろん、その方たちが自然現象を左右するほどの超能力を発揮されている

わけではないはずです。ところが現実にその方たちはちゃんとお守りを頂いて

いるのですから、やはり不思議であり、そこに信仰の功徳や信仰の尊さがある

のだと言うことを却って私の方が教えられることも少なくありません。

私たちが何でもないこと、当たり前のこととして見過ごしているような、お天気の

具合一つにも感謝で受け止め、喜びとすることが出来る人は、素直であり、

心豊かな人であるはずです。心豊かなればこそ、日常生活におけるさまざまな

出来事にもマイナス的に受け止めず、前向きに考え、それを感謝と喜びに表す

ことが出来るのでしょう。

感謝と喜びの心を持つ人に接すれば、人の心を和ませ、人に安心を与え、人の心を明るくさせることでしょう。

感謝と喜びの心を多く持つ人は、また多くの人たちのために尽くせる人であるはずです。人のために尽くす

ことは、御仏の教えを行うことであり、御仏の心にかなう人であり、御仏のおかげを頂く資格をうることで

あります。

教えのことばに「御仏はただ祈ったり願うものに加護するにあらず、

授けるに価する資格者にのみ授けられるなり」とあります。即ち信仰とは

単に仏さまを拝んだり、祈ったりしてご利益、ご加護を願うことでなく、

御仏の教えを身につけ行うことであります。

その信仰によって欲心は浄められ、執われがなくなれば心の豊かさは

生まれ、感謝と喜びの心も自然に育ってゆくのではないでしょうか。



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