こころの紋様 -ミニ説教-

〜水子地蔵で救えるか〜

堕胎は殺人になる?



ひところ水子供養がブームのようにもてはやされて、各地に水子の供養塔が出来て、「中絶された水子の

霊魂は迷い、その家庭にさまざまな障りとなり、不幸な事が起きる」と言う宣伝チラシの新聞折込みまで

なされたことがありました。当寺へも、何人かのご婦人から「やはり水子供養はしなければいけないので

しょうか?」という問い合わせに対応したことがあります。それはご婦人だけの悩みとは限らないかもしれ

ませんが、直接的な体験である中絶のほかに、ご婦人はいろいろの悩みを抱きがちのようです。

子供たちの病気、姑とのいざこざ、夫の仕事や健康、子供の教育や非行など次々に起きる心配事は絶える

ことはありません。いちいち誰に相談するわけにもいかず、気持ちが塞ぎがちになるのもしかたがありません。

そんな時「人知れず悩む難病、家庭不和、子の非行等、家庭におけるさまざまな問題は『障り』であり『水子の

迷える霊のせいである』」といわれると、”スネにキズもつ≠ナは

ないが、少なからず堕胎・流産の経験のある婦人の中には

「もしやこの病気はあのときの・・・・」と言う思いにかられるのも無理

からぬことかもしれません。そのように人の弱みに付け込み不安と

恐怖をあおり、巧みに水子地蔵像を売り、供養を迫る商売があり、

それに乗せられる人もいれば、それに乗る寺院も少なくありません。

もちろん私は、迷える霊やその霊的な障りがあることまでは否定し得ないことですが、ただ、形ばかりの

お地蔵さんを祀り供養すれば障りが払われるという安易な商売の手段で、家庭内の問題が解消するもの

ではないでしょう。家庭内のトラブルや悩みを、なんでも直ぐに水子や、その他の霊や因縁、方角のせいに

することでは、何の解決にもなりません。

仏教では因縁を説いてますが、因縁とは正しくは、原因があって、それに結びつく縁があって、それにより結果

が現れるということです。悩み惑わすものが何であるのか、その原因を正しく究め、それに対し、どうすれば解決

するのかを正しく判断すべきこととしています。

病気であれば先ず、その原因が、病菌なのか、食生活や生活環境なのか、

医師の正しい診察と治療、療法をうけることが第一であることは言うまでも

ないことです。先ず人間的正しき判断と努力の上での神仏への祈りが通じ、

加護があるのです。水子の供養であれば、障りを怖れるためにやるのでなく、

堕胎した親として心から、詫び懺悔してその子の冥福を祈り神仏へ導き願う

者の人としての心にあることを知るべきです。

もちろん、堕胎されないことが望ましいことですが、やはりやむえない事情は誰にでもあることですから仕方が

ありません。しかし、霊的な立場から言えば、少なくとも妊娠三ヶ月以内で行うことであると言われています。

というのは、妊娠三ヶ月で胎児は人間としての姿が形つくられ、一個の人間としての生命の活動を始め、霊的

つながりがなされるからです。それ以前なら、まだ肉の塊としてみなすことも出来ましょう。

しかし三ヶ月を過ぎての堕胎は、法的殺人罪には問われないまでも、命ある一人の生きる権利の抹殺であり、

罪なことであると言えるのです。これは、やはり避けておきたいものです。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

 ぜひご感想をお寄せ下さい。


E-MAIL ns@jyofukuji.com
 戻り