こころの紋様 -ミニ説教-

〜日々の精進の誓いありてこそ〜
戒名に意義ありや



一般的に日本人の多くは死者に戒名がつくのが当然という受けとめ方がされています。だからなのか

「死んだ人になぜ戒名を付けるのですか?」というような疑問の言葉をさえ聞くことはなく、むしろ「どうぞ、

いい戒名をお願いします」という要求をされるくらいです。

また戒名の意義をもっともらしく説き、姓名判断なみにその良し悪しを言う人もいます。
戒名というものは、本来仏教に入信して、仏教徒として仏教の

戒律や教えを守って日々生活を致しますと言う誓いだての、

授戒の儀式を受けた時に授戒の師から頂く名前のことです。

キリスト教に入信して洗礼を受けるとクリスチャンネームが付け

られるのとおなじで、いわばブッティストネームと言えるでしょう。
だから、本来死者に付ける名前でなく生前に頂くべき名前なのです。ところが、死者に戒名をつけるのは、

不幸にして仏縁になく、受戒の機会に恵まれずに亡くなり、いよいよ仏式で弔う段になって、せめて故人に

形だけでも仏門に帰依させ、戒律を授けて仏教徒として仏の導きを頂こうと言うことから、戒名が付けられ

追贈されるようになったものです。これは故人の信心や意思に関係なく、また仏教に関心があろうとなかろうと、

あたかも欠席裁判のように、死ねば当然の如く仏戒を申し渡し、戒名を付け、仏教徒に仕立て葬ってしまうのが、

一般の仏式葬法なのです。

考えようによっては、日頃の信心、信仰の縁になかった人だからこそ、

せめて死してのち御霊が肉体を離れ、別なる世界へ旅立つに当たって

無事、往生の地へ向かわしめるために仏縁なり法縁を結ばせる、

結縁としての儀式であり、その自覚のための戒名としての意義は

ありましょう。 形式に終わらせるか、このことを機に送る人、送られる人が

ともに仏教徒としての自覚を高める場とするか、それは行う側の人たちが、

どれだけ、その願いと意義を持って臨むかであり、導師を務める僧侶の

姿勢と力量が問われることであり、またその場に臨む私自身の自戒と

するところです。

だから本来的には戒名を付けないと故人が往生できないとか、亡霊になって幽界をさ迷うということでは

ないのです。 いい戒名で故人の徳が高まるとか、立派な戒名を付けてもらったから、極楽往生が約束

されるというわけではありません。 いわゆる立派な戒名を頂きながら、尚、往生できずに霊界において

さ迷い、浮かばれない霊の存在を私は知っています。 死して後、どのような世界に行くかは、その人が

生きている時に、どのような生き方をして来たかによることなのです。

戒名の良し悪しや、戒名の字数ではなく、人として正しく生き、悪業を行わず善行を積み立派な人生を

送り、御仏に護られ、導かれるに値する生前の精進こそ大切なようです。

その集約において戒名は付けられるべきなのです。 


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