こころの紋様 -ミニ説教-
〜暴走族少年たちの葬儀〜
人は見かけによらず
交通事故を起こしてなくなった少年の葬儀をつとめたことがありました。バイクによる暴走行為のためでした。 お身内が少ないこともあってか、その葬儀には、一種独特のスタイルのバイク仲間たちが大勢集まって 手伝いに来ていました。一見異様な感じの中にも、彼らは駐車場案内や受付、導師の私の荷物を持っての 案内など献身的に働き、礼儀正しく整然とした動きを見せていました。 リーダーによる弔辞には故人となった友との別れを惜しむ悲しみの気持ちが込められており、さすがに、 大勢のグループをまとめるリーダーなんだなぁと感心をしたり、さらに仲間たちも謙虚に手をあわせ、拝む姿に 微笑ましさを感じました。 さらに、最後には、ロック調の賑やかな音楽による棺の送り出しも、むしろ故人の少年にふさわしくもあり、 |
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まさに暴走族葬かなと思いながらも、一般会葬 者も、特別嫌悪感はなく、葬儀は終わりました。 このとき、私は、人は見かけによらずと言うように、 単に姿形、格好だけでその人のすべてを 決め付けてはならないなぁと思ったものです。 |
私たちは、自分の好き嫌いや、あるいは先入観や推測や思い込みで、簡単に「あの人は、あの人たちは、 そういう人だ」などと決め付けて、レッテルやラベルを貼ってしまいがちです。 昔流の言い方をすれば色眼鏡を掛けて見るということでしょう。危険なのは、今はもう、薄れてきていると思われ ながら、なお人の意識に強く残る、差別感情、家柄、氏素性だけで、人柄などはお構いなしに人を判断し、誉め たり、貶したり差別したり、また、見かけだけや印象やた態度だけで人の評価をしてしまいがちなことです。 |
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一休さんといえばとんち話で知られていますが、承福寺の本山である大徳寺の 住持もされた徳の高い和尚です。 ある時、京の大店の主人が、一休和尚様に来て頂いて点心(てんじん=食事の 接待)を差し上げたいと使いのものをやりました。 一休さんも気安く承知して約束の日に伺いました。 お店の方では、将軍様とも親しく交友される一休和尚を迎えるとあって、玄関を 掃き清め、打ち水などをして主人を筆頭に、店のものが揃って、和尚の到着を 今か今かと待っていました。そこへみすぼらしいなりの僧侶が玄関を入ろうと しました。 店のものは慌てて、「今日は大事な、偉い和尚様をお迎えするの、 |
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だからお前のようなこじき坊主の来るところではない。早く出て行け」とばかりに、わずかばかりの小銭を 渡し、追い出してしまいました。ところが、お店のほうには、約束時間を過ぎても肝心の一休和尚は 来られません。ご主人はおかしいなぁ、もしやお約束をお忘れかなぁと思い、使いの者を催促にやりました。 一休和尚は直ぐに伺う旨を告げ、使者を帰らせた後、小僧さんに金襴の袈裟だけを持たせ、施主宅へ行かせ、 一休和尚の座る座布団の上にこの金襴の袈裟を座らせたと言います。主人は訝って訳を聞くと「和尚様は、 先ほど此のお店のほうへに参りましたら、玄関先で、直ぐにお布施を頂き、帰る様にいわれましたので、 もどって来たとのことで、また使いをよこされたと言うことは、一休本人より、この金襴の今朝の方に来てほし かったのだろうと、私にこの袈裟を持たせたので御座います。 一休和尚は偉いお坊さんでしたが、決してえらぶる風はなく、至って質素で派手な、袈裟を着けてまわるお方 ではなかったのです。便ち、最初に玄関に訪ねて来て、追い帰されたみすぼらしいなりのお坊さんこそ、 一休和尚その人だったのです。 |