こころの紋様 -ミニ説教-

〜先祖から引き継ぐ日本人のこころ〜

「おかげさま」の精神



日本人は昔から「おかげさま」という言葉を大事にしてきました。「今日は天気がいいですね」といへば

「おかげさまで」とか「最近体調はどうですか」といえば「お陰様で元気に暮らしてます」「お子さんは?」

「お陰様でもう中学生なんですよ」などと何かと「おかげさま」のことばが使われ、生活の中に生きています。

別にたずねた人に直接お世話になったわけでもなく、その人のお陰を受けていなくても「おかげさま」と言う

のはなぜでしょう。 私はここに日本人のすばらしさやつつしみというものを感じます。

私がここに生きておれるのはお天道様のお陰、草木が恵んでくれる酸素やオゾンを含む自然の営みに

よる恵みに対し、またさまざまの食糧を生産してくれる人、加工する人、運ぶ人、料理する人等その

一人一人のお陰であります。

 人間一人が生きて行くのには、あらゆる人々のお陰をこうむって

います。有縁無縁の方々の汗と努力の中に自分は生かされていると

いう気持ちを、日本人は昔から「おかげさま」という言葉の中に集約

してきたのではないかと思います。  「おかげさま」の心は私たち

日本人の血の中に先祖から受け継ぎ、無意識のうちに「おかげさま」

となって出てくるのではないかと思います。

 ところが現実の私はどうでしょう。 せっかく「おかげさま」で生かされている私たちであるはずなのに、何と愚痴

不平が多いことでしょう。 言っても仕方のないことなのに、つい口について出てしまうのが、愚痴の始末におえ

ないところです。 お釈迦さまは人間の心を悩ませかき乱し、煩わせ、惑わし汚すものを煩悩といい、その根源を

なすのが貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三毒だと教えています。貪とは貪りの心であり、瞋とは怒りの心、痴は

愚かなための迷いによる愚痴のことです。

 私たちはしなくてもいいことをしては、忙しい忙しいと言ってはいない

でしょうか。 すんでしまったことにとらわれてくよくよしたり、腹を立て

たり、まだ来てもいない将来を思い煩っておろおろしたり、不安がって

迷ったりしていないでしょうか。 

私たちが迷うのは「迷い」という何かがあるから迷うのではありません。

「迷いはとらわれの中にあり」といわれるとおり、執着の心がある故に

迷いを引き起こしているのです。
  

 この捉われをなくすことは実に至難なことですが、もう一度生かされているという「おかげさま」の精神に

立ち返ることではないでしょうか。



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