こころの紋様 -ミニ説教-


人生いろいろありて
人は皆主人公なり



 秋風が夏を追いやって玄海の浜辺は、ただ波だけが高ぶり、日ごとに海の色を変化させています。

海の本格的活動はこれからのよう思えるほどに、次から次へと休む事なく波を産み出し、様々な貝殻や漂着物を

運び来て残していきます。夏の遊び客の群れが消えた秋の海にこそ詩が生まれ、そしてまた悲しきドラマが

生まれる、そんな気がする秋の海です。
  いろいろの貝ありてこそ拾はれめ

      ちくさの浜のあまのまにまに

  松やまのまつが浦風ふきよせば

      ひろいて忍べ恋わすれ貝


万葉の歌人たちも波辺に打ち寄せられる空貝(うつせがい=貝ガラ)の一つにもロマンを感じ、三十一文字に

その思いを託し、またこころを慰めたのかもしれません。

海岸にはいつも打ち寄せる波の数だけ、物語を生み出しているのではないかと、私には思えてなりません。

私がジョギングをはじめてもう二十数年になり、今も時々ながら山寺をかけおりて玄海の浜辺を

気ままに走ります。

その折々に美しい色や面白い形や珍しい貝ガラを拾ったりしています。

私が走るわずか三、四キロほどの海岸ながらも、大小様々な貝がいて、それぞれが、それぞれに領分を

分けていろいろの生き方をしています。黙して語らぬ貝でさえ、様々な生き方があるように、ましてや、

様々な人種、様々な言語、様々な考えを持ち、さらに感情を持つ人の世ならなおさら複雑なのは当然です。


歌の文句じゃないが、"人生いろいろ"で、いろいろの人の寄り

集まりが人間社会です。いい人もいれば悪い人もいます。

そして出合いがあり、別れがあり、対立があり争いがあり喜びや

悲しみが混在しているのが世の中であり現実なのです。

だからこそ、ここに詩があり、歌が生まれそしてまたドラマが

出来るのでしょう。

私は、人は皆"自分"という小説の主人公だとつくづく思います。

しかしこの小説にはこの先は、全くの筋書きのない物語です。

自分で作る人生物語でもあります。

どんな展開になるか、どんな展開にするか、自分が自分で作り出す長編小説の演出家であり、監督であり、

そしてヒーロー、ヒロインなのです。

だから今、どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、主人公の私はどんな演技が出来るのか、どう演じれば

いいのかという思いで生きる時、なんだか楽しい気がします。


最後までお読み頂いてありがとう御座います。

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